「頭の良さ」や「賢さ」とういうところで、テストの点を多く取るということと、物事をよく知っているというのは、重なるところもあるけれど、必ずしも全部というわけではありません。
テストの点は、高く取るためのコツもあるでしょうし、出題の内容や傾向というものは結構恣意的なものであるように感じます。
一方、物事をよく知っている、物事の道理をよく知っているというのは、人が生きていく知識や知恵も含むため、テストの点のように数値で測りにくいという特徴があります。
また、属人的なものでもあって、誰がどのような知識や知恵を持っているのかということと、それをどのようにして用いているかというのは、やや異なるように思います。
たとえば、火を着けることを知っていて、肉や野菜を焼けばおいしい食事となる、しかし、それを家屋につけてしまえば放火になってしまう。
人の役に立つかどうか、火の使い方しかり、どうやって知っていることと役に立つことを両立するのか、それが大切なように思います。
仕事にしても、お金を多く稼ぐとしても、悲しむ人の多いとか、多く人を欺いているようでは、多く稼いでいるところでビジネスに長けているとは言いにくいものです。
堅実にやるばかりが能ではないけれど、やはり地道にやるとか、丁寧にやるようなことが、収入の多寡ではない、計れないところで大切ではないでしょうか。
短期的な利益になるかどうか、それも生存上求められるものですが、長期的に見てやはり利益であるように、それもお互いにとか、より多くの人にとってそうであるようにしたいものです。
日頃から「頭の良さ」を養うようにしていくと同時に、「頭の良さ」でもって物事を良くしていくことや、より有用であるようなことが求められるのではないでしょうか。
言い換えれば、何を知っている、何ができるということも大切ですが、何をどうしていきたいのか、そういう思いや志のところを大切にできると良いなと思います。
テストの点や収入の多寡だけで計ることのないように、それ以外で見ることのできる知識や知恵をしっかり育んでいきたいものです。
そうやって考えていくこと自体、真の「頭の良さ」や「賢さ」に通じるように思うものです☆