鏡の反射のように

 

モノでもサービスでも、金銭を介在しながらそれのやり取りをして、生活が成り立つものがあります。

仕事の場面で自分が提供することもあるし、自分が提供されることもあるでしょう、提供をする/されるの違いはあれど、そこには少なからず人とのやり取りがあるものです。

こういう風にやってもらえると嬉しいな、あるいは、こういう風にやると喜ばれるな、立場をどちらかに取りながら、いろいろと感じたり気づくものはあります。

意外と、自分はそうされるのを好まないと思いながら、いざ自分がやる方に立つとできていないことは多いような気がします。

たとえば、愛想良くやろうとしながらも仏頂面だったり、声のトーンを上げているつもりでも沈んだ様子だったり、思っているのと異なることはあるでしょう。

先にどうすべきかを思うことが大切ですが、自分が受けることを考えてみれば、どういう言動が好ましいかをいつも考えているような、そういう姿勢が大切なように思います。

そうすることもないのなら、笑顔や身振りですら与えることもなく、だから返ってくるものもない。

単純な金銭の授受だけでないところで、接客や仕事がどうにも面白く感じられないようであれば、たとえば「ありがとう」と言われるようにするには、どのような接客が好ましいか考えてみると良いでしょう。

工夫としては小さいかもしれないけれど、そういう積み重ねができる人は次第に上手になっていくものですから、だから、出世すると言いますか、大いに引き立てられることになるわけです。

逆に、「ありがとう」と言われないでいては、どうして言われないかもわからないから、そこに止まっているだけになるかもしれません。

時折、言うのに慣れすぎて「ありがとうございました、またご利用くださいませ」を「あーしゃーた、まはらごーりょーひゃーへ」みたいに端折っている人がいますが、これでは伝わるものもないから、何も返しようがないことになります。

これ以外にも、気がつかないうちに慣れてしまっていること、慣れているがゆえにおざなりになっていることがあるかもしれません。

いつも初心、そして、工夫をすることを忘れないようにして、こういうひとつひとつに取り組んでいくのが大切だなと思う今日この頃です☆