見た目と異なる

 

嘘をつくとか欺くわけではないけれど、必ずしもその通りに表しているわけでない、そういう可能性を吟味してみるのも良いかもしれません。

たとえば、北海道に行っていたとして、周囲に報告する時には旅行に行ってきた、観光名所に行ってきたと言うとします。

それ自体、本当に旅行に行って、観光名所にも行っているのですが、メインの目的としては結婚相手の親元へあいさつに行っていたということもあるわけです。

この、メインの目的を目立たせないようにとか、他の方へ目を向けてもらいたいとかで、だから、あくまでわかりやすく旅行だ観光だという場合があるように思うものです。

こういうのは、別の場合でもあてはまるように思い、転職とか結婚とか、人生の大きな節目の場合もあるでしょうし、今はまだ言えない、ひっそりとコトを進めておきたいような場合もあるでしょう。

誰かに会いにいくとして相談を持ちかける、あるいは、その誰かが名前を出すには配慮が必要とか、無用な詮索を避けたい場合もあるかもしれません。

ご飯やお酒の席を一緒にするにしても、その店や料理を紹介することなく、近隣の立ち寄ったところを取り上げて話題にすることで、話題をそういう向きにすることができます。

こういう、自分なりの目的とか狙いとか、言って行う「有言実行」が好ましいけれど、言わないで実行していくのも良いと思います。

何でもかんでも明け透けに言うばかりでなく、重要なことは時機を見極めていくことで、それがまた重要さを増していくこともできるはずです。

細かい調整や修正も良いけれど、言いたければ言うし、言いたくなければいわないだけのことで、あまり深い意味や入り組んだ意図があるというものでもありありません。

それよりも大切なのは、しっかりとカタチにしていくことであって、手に入れたいものであるとか、かなえたい出来事だとか、そういうものを実際に表していくことではないでしょうか。

そういう前提があって、どういうストーリーのうちにいるのか明らかにするために、ひとつひとつの言動を節目として活用してみるということなのでしょう。

自分の見ているものにどういう意味を付していくのか、それは自分が何を思っているのかに起因していくので、今の自分が何を望んでいるのか、普段からしっかり探っていくことが良いように思います☆