右向けどちらに

 

世の中の倫理だとか良識だとかいうものは、自分ひとりで決められるようなものでなく、あくまで大勢による傾向・特徴であるように思います。

ひとりひとりの個々の判断によって、概ねそうであるというようなことが、周囲を見渡しながら、それとはなしに定まっていくのかもしれません。

それだけに特定の基準や目印があるわけでもなく、果たして今の多くの人が持っていたり感じていたりするものがどれくらい妥当なものなのか、それもまた測れないということになります。

自分の感覚・感性ばかりが絶対に正しいなんてことは、露ほどにも思いませんが、それでも大勢が向かっているから正しいというのも、一方では迂闊ではないかと思う場面が多々あるものです。

ひとりの日々を過ごす者として、「右向け右」であるように、誰かがやっているから、また、その人数が多いからというような理由で行動を起こすのは、いささか軽率ではないでしょうか、そういうことを言いたいわけです。

たとえば、信号の表示が"赤"でいくら車・歩行者の往来が少ないからといって、誰もがそれを無視して良いということにはならないものです。

基本的には"止まれ"である、それでも場合によってはそれを脇に置いてしまう、そういう人の粗忽さも否定しきれず、時に渡ってしまうことも「あり」かなというような具合です。

どういう場合にせよ、多くの人がそうかもしれない、しかし、自分においてはどうなのか、逐一自分で考えるということが必要なのかもしれません。

では、今では歩きながらケータイ電話・スマホをいじっている人が相当に横行していますが、多くの人がやっているから、周りの誰もがやっているからそれは「あり」なのかどうなの、自分自身はそれは「ない」なと思っています。

歩きながら移動しながらでは効率が良いかもしれない、それでも周りが見えていないだけに無防備丸出しですし、歩き方・姿勢においてもやがて損なうものが多いような気がしてなりません。

こういうことから引き伸ばして考えていくと、世の中のひと握りの人が巨万の富を得ていて、ほとんど大半の人たちがそれを有していない話題に続いていくような気がします。

単純なまでに多数派が有利であれば良いものを、実際はそうなってはいないので、少数派の存在もまた看過するわけにはいかないのです。

群れて安心、しかし、それは自分の判断を留保しっぱなしなのかもしれない、そういう危機感を持ちながら日々考えを重ねていくことが、今の多くの人にとって必要なのかもしれません☆