同じ言葉を用いても

 

自分では当たり前のように使っていても、それが思うように伝わっているのか、時々不明になることがあります。

たとえば、同じ"賢い"でも「SMART」なのか「CLEVER」で異なるように、含む意味や印象までわかってほしいと思うようなものです。

それに、こちらの知っている語句や言い回しで言うにしても、相手の方でそれを知らなければ、自分の知っているものへ置き換えるということもあるかもしれません。

少なくとも、自分はこういう意図で用いている、願わくばそのように受け取ってほしいと思うのならば、それ相応の工夫が必要ということになるでしょう。

シンプルに、何かのもの(すりこぎ、タワシなど)を尋ねる時に、こちらは色や重さを聞いているのに、返ってくる回答がカタチや材質であれば、やりとりのズレが生じていることになります。

あるいは、「いつ、どこで」を聞いているのに、「誰と、どのように」と返ってくるのなら、ズレの大きさの甚だしさを思うものです。

これが、もしもそういうことに思い至らないままにやり取りをしていたら、どこかで甚大な矛盾や不都合が生じてくることも考えられます。

普段の生活においては、「寝る」というのが誤解を招こうと思えばできる言い方ですし、「付き合う」というのも意外と曖昧さの多い言い方だなと思います。

日本語においてもこういうことがしばしばあるのだから、得意でないところの英語や諸外国の言葉では、いろいろと注意しておく必要がありそうです。

自分では、特に何を思わないでいても、自分の意図しないところで中傷や嘲りが含まれるようだと、なかなか言葉を発するのに臆してしまうはずです。

そして、英語であれこれ説明しようとしている時に、こちらは一生懸命道案内をしようと思っていても、実際の内容が「カップラーメンのつくり方」だとしたら、自分の持っている知識や言葉がまるで役に立たないことに愕然とすることでしょう。

言葉そのものを詳しく知っていることも必要ですし、やり取りにおける言葉遣い、どのような状況や場面にふさわしいのかを知っていることも必要です。

極端に言えば、"何も言わない"ことがかえって雄弁になることもある、そういうとらえ方になります。

言葉もそうですが、そこに込められた気持ちも大切、「ありがとう」とともに笑顔もそっと添えていきたいものです。

そういうものは、何も言わずとも雰囲気や仕草からきっと伝わるものです☆