執着を手放す

 

普段日々を過ごしていて、「こうなったら良いな」と思い描きながら取り組んでいることや、心の中で願っているようなことは多くあるものです。

それは、「大金が舞い込んでこないかな」、「高級レストランでデートしたいな」とか、どちらかというと手の届きにくいものが最初の方に浮かんでくるかもしれません。

それが「たくさんの、かつ、オシャレな洋服(それも高価な)に囲まれていたい」でも良いわけですが、それでも無謀な要求ばかりでもなくて、ささやかなものであっても構わないわけです。

お金はもちろん生活するのに欠かせないものだけれど、多くあるから幸せとも限らないなというのが、最近の発想のひとつになっています。

もちろん、あるに越したことはないけれど、それをどのように使うのかがより大切な気がします。

そして、「明日の朝、無事に起きれるか」、「プレゼン、自分の案が通ると良いな」とか、身近なところでの願い、こういうものだって十分に果たしていけたら良いものになるはずです。

それらは自分の心がけや行為に対する結果のところなので、早く寝たから良いとか、準備に一切の怠りなしだから完璧だということでなくて、あくまで取り組みに対してのその反映でしかないように思います。

今のことをやる、後がどうかは二の次というところで、その時々での最善を尽くさない限りは、続くものも生じてこないわけです。

あとは、やることなすこと多くある日々において、一喜一憂するということから離れて、「そうでなくても何とかなるだろう」とか、「これだけやったんだから、後のことは任せる」とか、無用な心配を、それも先回りするようにして覚える必要はない気がします。

どうしても、原因があるから結果がある、結果が出てしまうものだから原因を追求してしまうとか、ひとつのセットとする傾向はあるかもしれません。

そういう考えは、一貫した論理性でもって迎えられるわけですが、たとえば「願い」を「念ずる」と置き換えて考える場合、字の成り立ちを見ると「今の心」となっているわけです。

原因に対して結果があるように、現在・過去・未来と時間の流れがありますが、それを"今は今"と区切ることで、まさに今のこの瞬間やるべきことや判断すべきことがわかるし、そのそれぞれに集中することができるかもしれません。

テストの解答欄を埋めない限りは、得点がもらえるかがわからないように、何かしら行動を起こすということが、何より大切なように思います☆