大切なものを見失わないように

 

人は、どうしても多くの人との関わりの中で、

それこそ多くの影響を受けながら生きているものですが、

自分にとって大切なものを押し殺してまで、

どうして、順応しなければいけないのかとも思うものです。

 

最初からはみ出ることを想定しているのではなく、

重なる部分があれば、はみ出る部分も同じようにあるといった、

光と影、表と裏のように離れがたいもののような気がします。

 

自分自身、社会のルールをそれなりに守って、

決して人の命を奪ったり、物品を盗んだりはしませんが、

思考と感情を持って、日々を過ごしている以上、

相容れないことがあれば、中指を立てたくなるような、

気性の荒い部分も当然あるわけです。

 

それはおそらく、ふとした会話のやり取りや、

興味や関心の持ちどころなどの多くの原因と理由なのかもしれず、

お互いの主張のようなものは、ない方が不自然かなとも思うわけです。

 

もしもお互いの関わりにおいて、均衡が崩れたとするのなら、

そういう意味では、絵の具のチューブを押しつぶそうとしても、

その力が強ければ、チューブを破って中身が飛び出るように、

どうにか逃れようとする動きになっていくものです。

 

人はそんなに定規で測ったようにキレイに割り切れるものでなく、

個人においても、雑多なものが渦巻いていると考える方が、

かえってその人の魅力に気がつくように思います。

 

その人が大切に思うことや、譲れないことを知りながら、

そうして折衝を繰り返しながら、お互いに理解を深めていく方が、

長い目で見ても、よほど建設的なことのように思います。

 

どうして、自分自身は(主に)音楽を聴くことを選んでいるのか、

それは音楽を聴くことが楽しい以上に理由はなく、

あれこれ御託を並べる必要がないとも思っています。

 

しかし、時として思い至ることのひとつやふたつはあって、

具体的に、誰のどんなアルバムや楽曲を聴いているのではなく、

音楽を聴くこと自体が、そのまま感情を豊かにするものと思って、

それが総じて、長いこと多く聴こうとしているだけになっている、

結局は、そういうことなのかなとも思うわけです。

 

このあたりは、他の切り口もあって、

どうにか説明できることのようにも思いますが、

たとえ上手に言葉に置き換えられないとしても、

胸の中にずっと抱いていることはあって、

それが自分の大切にしたいことなのだなと思うわけです☆