それは、決して隠しているわけではないけれど、
心の中で、大切にしていることがあります。
言えるかどうか、言ってわかってもらえるかどうかの、
自分なりの線引きがあって、それが心を開いている、
打ち解ける/打ち解けようとする意思があるのか、
相手との距離感を推し量る判断材料のひとつとして、
ひっそり持ち合わせているのはあります。
別段、このあたりのことを言わないからといって、
普段のことに、に大きく支障が出るわけでもありませんが、
本質的に、自分をわかってもらったり、
自分が相手を信じきれたりするかどうかの、
何か試金石のようにもなっています。
このあたりを述べていると、
何だか、一筋縄でないとか、素直でないのかとか、
へそ曲がり、天邪鬼(あまのじゃく)などとも言えますが、
そういう、どうにも制御しきれないないもの、
そこにこそ、その人の真ん中ともいうべき、
本質が見え隠れしているように思います。
そういうのって、誰にでもひとつふたつとあるはずで、
普段の生活においては、あえて出すようなこともなく、
逆にまた、なかなかうかがえないものかなと思います。
そういうのをお互いに開示して、お互いに認め合う、
それでこそ、お互いが欠かせない存在となるような気がして、
生涯にわたって、唯一無二の存在となっていくのでしょう。
この世に生を受け、多くの人との関わりの中で生きていくに、
きっとこういう存在を求めていくことが、大きな営みのひとつで、
そのために、出会いと別れを繰り返しているのかなと考えれば、
早く出会えることや、多く出会えることも重要でしょうが、
最終的に、ひとりでもそんな人に出会えるということは、
何と幸運で、何と嬉しいことなのだと思います。
そのためには、自分の思いを強く持って、
自分とは何かを絶えず追求するような姿勢や心構えが大切で、
その過程を、自分で経ているからこそ、
誰かを知る時に、それをあてはめていくことができるし、
自分にとって、そういう存在なのか気がつくのはあるでしょう。
人それなりに生きていると、強くもあり弱くもあり、
いろいろな感情の浮き沈みに直面することもあるでしょうが、
その歩んできた道のりが、いつか花開くことを願って、
この道を一歩、一歩と進んでいくのが大切なことですね☆