言葉を膨大に受け取るような時、
その言葉の響きのみならず、
意味をもつかんで理解できているのか、
それはどれくらいの割合なのかなと思います。
雑踏の中であったり、宣伝の向上であったり、
必ずしも自分に関係ないと思う時には、
耳には入るけれど、意識していないことがあります。
一応、目にしたものは、意識/無意識の中で、
脳がすべて記憶していると言われるので、
きっと、どんなことであっても残ってはいるのでしょうが、
それが浮上してきて、何に用いるかどうかは、
興味や関心があるのかないのかの差異による気がします。
ざっと想像してみるに、日々過ごしているうちに、
目にする、耳にするもののすべてが認識して、咀嚼し終わるまで、
次に過ぎない、しかも、その控えているのがさらに多いのでは、
すぐに発狂するほどに、混乱をもたらしそうです。
それは意識にあるところでの出来事なので、
多くの人は、この、意識していることに重きを置くでしょうが、
それは、全体における10%になるかどうかの氷山の一角で、
無意識=潜在意識の領域の方が、他の90%を占めています。
前述したような、脳はすべてを記憶するということに重ねれば、
あえて意識しない、しかし、心は開放するような構えでいれば、
入ってくる言葉、情報を浴びるようにしていれば、それは蓄積、
知らず知らずのうちに影響を受け、何かをもたらすことでしょう。
その何かがはっきりとはわからないものの、
突き詰めれば、人類の叡智、知識の宝庫というものに、
もしかしたら到達することができると思えば、
良い意味で心騒ぐことは、間違いないところはずです。
興味や関心のあるなしだけでなく、得意や不得意もあって、
普段は、どうしても個人のそれぞれ傾き(偏り)はあるので、
どこかで「全知全能」という響きに酔いしれたいという、
憧れに似た思いはあるのか、自分に問いかけてもみたいところです。
人は肉体的に、どうしても100歳くらいまでしか耐えられませんが、
脳はどれだけ使い果しているのかといえば、ごくわずかで、
今、使っていて、頭痛がするとか、知恵熱が出るとかくらいでは、
その本領の片隅で右往左往しているくらいなのかもしれません。
どれくらい言葉や情報の氾濫に耐え、脳のまだ見ぬところを思うのか、
それが、今日のこれからの知的な営みに、大きく関わってくるでしょう☆