学びと扉の似ているところ

 

「学びと扉」という、一見関係があるようでないような、

しかし、根底のところでつながる発想があって、

比喩としても、個人的にかなり気に入っているので、

こういったところで頻出することのひとつだと思いますが、

普段、会話の俎上に出ることはないものでもあります。

 

結構、自分からは何も提供せずに、

"欲しい、欲しい"という思いが強い人が多いもので、

自分も、気をつけなければいけないところですが、

ただ、それを待っているだけでは何も訪れず、

そうして、何も訪れないということは、

何も得ることはないということになります。

 

どちらかというと、自分から率先して動いて、

扉を押して、向こうに開いていくようなイメージか、

ノックをして訪いを立てて、開いてもらうようなイメージか、

いずれにせよ、何もしないとはじまらないわけです。

 

「求めよ、さらば与えられん」とも言うように、

具体的に何を欲しているだとか、知りたいだとかを、

手前で把握して、それを言葉なり表現なりに出す、

そうしないと、相手も何を望んでいるのかを、

わかりようがないのは、当然のことかと思います。

 

それで、どのように呼応するのか、

判断は相手に任せることになりますが、

せめてものことをして、結果を待つしかありません。

 

しかし、その思いや熱意が伝わるのなら、

次のチャンスというような、段階へと導かれるでしょうし、

そして、さらに続くということもありそうです。

 

そのようにして、扉を一枚ずつ開いていくにせよ、

わからないなりに前に進むことにせよ、

一抹の不安や心配がつきまといはしますが、

それよりも、この先がどうなるものか、

心躍らせる方が、どこに行き着くのか、

結果としては同じでも、受け止め方は異なりそうです。

 

そして、多くの場合では、思いも寄らなかったことが、

思いも寄らなかった以上になっているような気がして、

「運が良い」ということにもつながる気がします。

 

何はともあれ、わからないことがある場合もそうですし、

教えてもらいたいことがある場合も同様に、

素直に教えを乞う、この姿勢があるかないかで、

その後の展開にも大きな差が出てくることでしょう。

 

チャンスはひたすら待っていても訪れやしない、

自分の目の前にある扉、開いていくことをお勧めしますし、

自分自身もどんどんやっていきたいと思います☆