「宇宙を感じる」と言えば、何やら宗教じみた発想なのか、スピリチュアルな感覚が強いのか、そんな印象を与えてしまうように思います。
これがなかなか侮れないもので、手のひらから気を発したり、ひとにらみで花瓶を割ったりできたら楽しいと思いながら、行き着くところはやはり「宇宙」なのかなという気がします。
そういうことで考えると、宗教もスピリチュアルも、それらを決して貶めようという意図はまったくなく、わかる人はいるし、そういう見えざる力というものもあるだろうと思っています。
見えるものばかりが正解でもなく、知っていることだけが正義というわけでもなく、むしろそうでないものの方が広大で、より本質に近いようにも思うものです。
そんな「宇宙」について思う時、果たしてその果てはどこにあって、行き着くことはできるのかというロマンを感じながら、その言葉の成り立ちについても思いを馳せたいものです。
先のことを考えるにしても、根っこのところを考えなくては、考える手立てを見つけにくい気がします。
宇宙="UNI・VERSE"は「ひとつに向くもの」、シンプルに言えば"ALL IS ONE(すべてはひとつ)"ということになるのでしょう。
漢字においても同じような意味合いで、空間(上下四方)も時間(往古来今)も超えて「全部」という説があるようです。
確かに、すべてを包み込むような宇宙にあっては、あれもこれも同じひと包み、ひとつのカバンの中にあるものは、同じく自分の持ち物・中身となるような感覚です。
あちらとこちらを分け隔てる必要もなく「すべてはひとつ」、さらには"verse"はもともとは「向きを変える(回る、向く、変わる)」意味合いであることから、一定の長さで行を変える「散文、詩」という意味にもなっていったようです。
そこで、大いなる宇宙を語るということは、ひとつの詩(うた)を歌うようなことでもあって、これもまたロマンを感じる考え方になります。
きっと敵も味方も関係ないところで、我々は大いなるひとつのもの、誰もがいがみ合うことなく、いつも隣り合った人に優しくできるようであれば、世界はうんとステキなことになるだろうという思いでいっぱいです。
このあたりを上手に解き明かしていくと、もっと興味深いことになりそうです☆