寄せては返す波のように

 

「因果応報」の別の言い表し方としても成り立ちそうな、自分の行ったことの総和が直接・間接入りまじながら何かのカタチでまとまって戻ってくる、そのようにとらえるひとつの発想があります。

普段では、ひとつやってひとつ返ってくるように、単独・個別のものとしてとらえるのが比較的容易であるように思いますが、数が多いのであれば、同じようなことはひとまとめにするのも良いのかもしれません。

それは、効率という点からもそうですし、部分ではなく全体としてとらえるというのも、結構多くの気づきが得られるものなのかと思います。

そして、今の自分にとっては"エネルギーの流れ"を読み取るようにするのが、明らかなイメージをつかみやすいというのがあって、それぞれに何かに置き換えてみることが理解を進めるのにかなり有効です。

もう少し目に見えるように考えるには、水の流れとか風向きみたいなことになっていくもののように思います。

たとえば、今回の場合では寄せては返す波を思い浮かべると良さそうで、押し込むだけ押し込んだら、その"余波"と言いますか、それ相応の跳ね返りがあるのかどうかという感覚のように思います。

最初は大きな力でもって、しかも一定の期間はずっと押し続けないといけないし、場合によっては途中でやめてしまうということもあるかもしれません。

それでも、大きく引いた潮が、また満ちるようにしてとか、波を伴って打ち寄せるようにしてとか、大きく息を吐いた後は、大量に吸い込むことができることに似ているとも言えそうです。

これはまた、まさしく"バネ"のイメージでもとらえられるようなことで、グッと力を加えることで一旦は縮む、そこから反動の力を利用してより遠くなり、より高くなり距離を移動することが可能になります。

いずれにしても、自分の具体的に行ったことだけでなく、そっと意識を向けることでもそうですし、"世界"に働きかけた何かしらは決してどこかに雲散霧消するものでなく、やがては巡り巡って自分の手前に戻ってくるだろうことはあるわけです。

最近、別立てで「閾値を越える」ことをつらつらと考えているわけですが、こういうことも①まず、ある程度の量や数をこなす、②そして、しかるべき反応や結果を待つというように、凝縮して→成り行きを見るというのが観察するにはやりやすいことに思い至るものです。

良い発想を得ることができたのならば、規模のいくらかはあるでしょうが、自分でも試みてみる、それが何より手応えのある知見を得るのに大切なことだなと思います☆