何事においても、これを達成したからそれで良しということはなく、いつも次なる課題や目標が表れてくるものです。
そういうことではいつも正念場にあるわけですし、成長や変化においてはいつも過渡期にあるということができるでしょう。
さまざまな局面を乗り越えない限り、次のことも考えたり取り組んだりすることはできないものですが、それにしてもどうやって対処するか、その心構えや姿勢というのは自分たちの手前のところで工夫できるようにも思います。
いつもカンフル剤を打って、興奮状態にあるような、刺激に満ちていると言えば聞こえは良いかもしれないけれど、息つく暇もないというのはなかなかキビしいものがある気がしてなりません。
それも確かに大切なことかもしれませんが、もっと普段のことも見ていくべきで、日頃の小さな積み重ねをしていきながら、時には休息もはさみながら、試練に耐え得るような状態をつくってくように取り組んでいたいものです。
いわば、地力や底力を備えておく、普段のこともしながら、少しずつでも余力を蓄えておくような感覚があると良いように思います。
たとえば、優先順位と重要度の相関についての発想があるわけですが、今すぐやる必要はないけれどやがて必要になること、つまり、優先順位は低いけれど重要度は高いもの、これが結構後回しになってしまいます。
どうしても優先順位の高いもの(で、重要度が高い・低いもの)に取りかかってしまいますから、いつまで経ってもその取り組み方になってしまうということは多いものです。
無理を押し通す、死線を越えるようなことをいつもしていては、やがて疲弊するか破綻するかしてしまうかもしれません。
このあたりは因果なもので、ある程度の無理はしないといけない、しかし、無理をしなくでも構わないような取り組みをしていないから、どうしても無理をする必要がある、その繰り返しということになってしまいます。
人や組織の成長もきっと階段のようなもので、いつも駆け足で一足飛びに行きたいと思いますが、時には踊り場にいるとか、同じところで足踏みをしている、そういう状況もないことには問題を打破できないかもしれません。
せめて、無理を無理のままにして突き通すとどうなるものか、行き着く果てに何があるのかを一度見定めておくのが良いように思います☆