考える角度を変える

 

今は歩きながら、電車の中でもゴハンを食べながらでも、ほとんどいつも片手にケータイ電話(スマホ)を手にしている人が多いように見えます。

むしろ手にしていない方が少数か、コトの正しさはとは別のところで、持っているのが当たり前のように見受けられます。

そこでは一体何をしているのか、メッセージの確認や聴いている音楽の選択などもあるでしょうが、ゲームに興じたり、ドラマやアニメなど動画を楽しんだりしているケースも多いものです。

何もそこでしなくてもと思わなくもないですが、何をするかにおいてもひとつの種類でもないし、ひとつのサービスや会社がやっているわけでもなく、いろいろ数はあることでしょう。

また、それを享受するユーザーにしても趣味嗜好はいろいろあるでしょうし、一日のうちで費やせる時間や機会というのもどこかに限りはあるというものです。

今は、他の娯楽も含め、いかに自分のところのコンテンツを楽しんでもらえるか、いわば、いかにシェアを多く占めていくのか、相当に熾烈な競争が繰り広げられているはずです。

ユーザーにしてみれば、それはあまり関係なく、いかに自分の好きなものを味わえるのか、そういうことに意識が回っていることが多いかもしれません。

それでも自分の時間を費やし、場合によっては課金も必要としながら楽しさを得ているわけで、どこに自分の時間やお金が当てられているのか、それを知るのも大切なことかもしれません。

そうやって、多くの人が楽しんでいるということは、一方で、時間やお金が集まっていることがあるわけで、そちらの側の論理や立場で見ることによって、新しい知見が得られることもあるでしょう。

ひとり個人として楽しむことはもちろん良いと思いますが、もう少し大きな視点で、より多くの人が楽しむ状況をつくる、それを自らの楽しみと思えれば、また得るものも異なるという話です。

お金とか収益という点で考えてみると、ユーザーは文字通り"使っている"わけで、そうでない感覚でとらえてみるのも良いなと思う次第です。

選ぶも選ばないも自由ですが、せめて一端でも知っておくというのは姿勢として良いのかなとも思うものです。

そういうバランスもあって良いのではないか、そういうことを思いながら、ケータイ電話(スマホ)片手にする人を眺めているのです☆