少しずつ掘り下げる

 

いろいろな予定や計画において、時間に余裕を持って、少し早めに取り組んでおくと、途中で良いアイディアが浮かんできたり、過不足なく考えられたりするものです。

一度にバッと出せれば良いのもありますが、同じ事柄・案件について繰り返し考えることによって、考えや理解が深まることもあるので、それなりに時間を要するようにも思います。

日をまたいでやってみるとか、時間を分けて取り組んでいくことでしか、どうにも届かない部分というものはありそうで、これが単に力ずくでどうにかなるものではないところが興味深いところです。

もちろん、時間が差し迫っているようなところでできることもあるでしょうが、その場合では吟味する時間や間隔が短いために、繰り返す頻度が濃密であるのかもしれません。

これは、人によっての好みやクセに関わるところでもあるので、結果的に無事に済むのであれば、途中の差異を取り沙汰することはなくて良いと思います。

山の頂上を目指すとして、途中の一歩ずつも見るのだけれど、どうにか登り切るような気概が大切なので、それを損なわない限りの配慮が必要です。

普段の生活においても、一足飛びにはできないもので、人の信用・理解にしても少しずつ積み重ねるものでしかない気がします。

急に筋肉がモリモリ身につくものでもないし、急に英語が話せるようなものでもない、いろいろな方法や角度から取り組むから、ようやく少しずつ成長や発達することできるというものです。

一方では、自分の伸ばしたいところやできることを増やそうとするから念頭にある、だから、たとえ少しずつでもできるようになっていくというのはあるでしょう。

そうなれば、あとはどれくらい地道にやっていけるのか、その途中をどうやって楽しむかにかかってきそうです。

大概のことは基本的に、前に進む方で推し進めていくものですが、行きつ戻りつ同じ道のりを何度もなぞりながら、ようやく前に進んでいるような気がします。

季節の、一気に暖かくなるわけでもない、しかし、少しずつ変化はしているようなもので、決して焦りはしないけれど、遅れるばかりでもないように取り組んんでいきたいものです。

何かを突破・打開するにもコツコツ石を穿つような、そういうことが必要だということです☆