居心地の良さと引き換えに

 

新しい場所に行ったり、新しいことをしたりするというのは、

これから何が起こるか、わからない部分が多いだけに、

ともすれば、不安ばかりが先行してしまうかもしれません。

 

それだけに、準備に余念がなく、気を張り詰めるために、

意外と、物事が滞りなく進むことが多いようにも思います。

 

多くの場合、安心・安全を求めるのが常ですから、

早いところ、そういうものを手に入れたいとなるわけです。

 

ただ、これが興味深いことでもあって、

十分に安心で安全な状態になるということは、

気は緩み、どこかしら隙も生じてくるものです。

 

居心地の良さとは裏腹のもので、引き換えになるもの、

油断や慢心を招いてしまい、物事が停滞することもあります。

 

不安な状態にせよ、安心できるそれにしても、

結局のところは、慣れが怖いということになりそうです。

 

武道でいうところの、「居着く」とはまさにそうで、

たとえば、足の裏が地面にペタッとついて、

瞬時に動こうとしても、少しの時間差が生じ、

そのわずかな差で、生き死にが決定してしまうわけです。

 

この場合においては、常に足裏の一部しか地面に接していないとか、

常に何かしら動きを持っていて、どうにでも動ける状態であるとか、

決して落ち着かない様子が、良いものとして考えられます。

 

身体の全体ということで言えば、重心を下げ切らない、

ある程度、浮いている部分を、用意しておくとも言えそうです。

 

このように、程度の差はあっても、

落ち着きがないのは、ひっくり返せば、

新しいものに興味を持つとか、

次に進むのに身軽であるということかもしれません。

 

野球の、ボールを打つのもそういうところがあって、

打つために、バットを思いきり振るとしても、

上手にヒットにつなげる人のバットは、

ボールが当たるまで、上下に細かく揺れているそうです。

 

良い意味でのためらいがあって、それだけに細かい調整ができる、

そういうミクロなところでの戦いがあるということで、

目には見えているけれど、捉えがたいことが起こっています。

 

普段では、同じようなことを、同じように行っていると、

その力の入れ具合が減じてもくるだろうし、

あるいは、失速するかのようになくなることもあって、

できることなら、早い段階で回避しておきたいところです。

 

そのために、心も身体も、いつも動いている状態をつくって、

いつも何かしらの知的な欲求とか、好奇心とかを刺激して、

前のめりに追い求める姿勢を、自然と取れるのが良いですね。

 

これはまた、生存上においても効果を発揮しそうなので、

そのための勘を養いつつ、発揮していきたいところです☆