希少価値と手に入れたさと

 

世の中、多くものが溢れている一方で、

肝心の欲しいものには巡り会いにくいものだなと、

時々、不思議な気持ちになることがあります。

 

たとえば、ある本が絶版になっていて、

実物(在庫)があっても、内容や数量において、

価値が高まっているから価格も高くなっている、

そうして、なかなか手に入れることが難しいとわかると、

かえって手に入れたくなる気持ちが強まるものです。

 

それなりに時間が経って、人の手も経ていて、

決して新品の状態ではないとしても、

発売当時の定価より高くなっているのを見ると、

価値と価格の関係とはどういうことなのだろうと、

少しばかり深い考察をしたい気持ちが湧いてきます。

 

手に入れたい人にとっては、価格がどれほどであろうとも、

手に入れて、それを楽しむことができる方が優先されるし、

それを受け渡したい人にとっては、これが逆になって、

価値とあいまって価格が高い方が好ましいと思うわけですね。

 

それが、音楽のライブ・コンサートであったり、

ハリウッド俳優と会えるような機会だったり、

その瞬間でしか体験できない、味わえないことであれば、

ある意味、価格に置き換えられないほどの価値を、

わかっている人は感じているということになります。

 

そうなると、無理に釣り上げているのはどうかなと、

思わず眉をひそめてしまうかもしれませんが、

価格は、確かにひとつの指標かもしれないけれど、

物事の価値を推し量るのには有効だなということになります。

 

自分自身振り返ってみても、そういうことのいくつかはあって、

自分にとっては高い価値を感じているものには、

あまり惜しむことなく手に入れていることがありました。

 

それでも、数千円のものが数万円になっているようなことはなく、

それなりの適正な価格や上乗せであったと思っていますが、

わからない人にとっては、わかりにくいことかなとも思います。

 

通常は、定価があればそれよりどれだけお得にできるか、

そういう値下げを期待するものですから、

どこにどうつぎ込むのかは個人の裁量に従うのみです。

 

前述の本にしても、中古で定価より少し高いくらいのもので、

それほどに無理をしないといけないものではありませんが、

欲しい気持ちと手に入れたい気持ちとがかみ合わないことには、

手元に来ても、大切に取り扱わないような気もしてしまいます。

 

そのあたりの価値と価格、自分の気持ちとを見計らいながら、

この行方を見ていきたいなと思う今日この頃です☆