当事者となる

 

外から見ていると、冷静に見れるからわかることも多い、そういうことも多くあるわけですが、果たして身をもって体験することに勝るものはあるのかとも思います。

自分がその場にいるから、自分がそれをやるからわかることが多い、むしろ、それでしかわからないことの方が多いのかもしれません。

異性とデートすると楽しいよとか、この焼肉弁当おいしいよと言われて、想像してもある程度は及ぶでしょうが、実際に体験しないことには実感を伴いにくいものです。

それこそ失恋した時の心の痛みや、海外に行って異国情緒を肌で感じるようなことは、ドラマや地図を見ているだけでは想像しきれないことでしょう。

何にせよ、自分が気になることには首を突っ込むような姿勢で、続くかどうかは別として、はじめないことには後に続くものもないわけです。

そこで、事前に自分が思っていたことや期待していたことの通りなのか、あれ?少し様子が異なるぞというように、そこで気づくことの重みというか、実感を得る価値があるように思います。

たとえば、"インスタ映え"する場所(スポット)に出かけた時に、撮る角度を工夫することによって魅力的になるのかとか、上手に撮るには近くに寄った方が良いとか、その場でわかるようなことではないでしょうか。

見てみるのと足を運んでみると印象が異なるというのは、その道中も含めて、身銭を切って時間や手間をかけることによって得られるわけです。

基本的には、大いに期待してその通りになるのが望ましいものですが、必ずしも思い通りにならないというのが、どうにも歯がゆいところかもしれません。

思い通りになったら快哉を叫ぶも良いですし、そうでなければ落胆に暮れるということで、その時々の反応をするしかないでしょう。

それもまた、いくらかの"授業料"ということで、具体的な何かを手に入れたかどうかではなく、どのような体験を得たのか、それを大切にしていくのが良いと思います。

今は以前と異なって、今まで通りにコトが運ぶわけではありませんから、ある意味ではこれまでの常識(と思っていたこと)が通用しないことを意味します。

行っては戻り、3歩進んでは2歩下がるようなことになるかもしれませんが、自ら当事者になる心構えでもって、諸々対処していければ良いなと思う次第です☆