形式的な美しさ

 

自分自身、割と形式や、物事の順序にこだわって、

カッチリとしているのを好む傾向があります。

 

そこまで頑固とか、融通が効かないというのでもありませんが、

順番通りになっているのは、確かに心地好いなと思います。

 

逆に言うと、行き当たりばったりとか、

急な変更に対しては、少し対応しづらいかもしれません。

 

それだけに、事前にしっかり準備して、

しっかりコトに当たるのが最善と言えそうです。

 

心療的なアプローチをするものとして、

自分の好みや思考の傾向など、中にあるものを出す、

「箱庭」として一定のカタチにすることがあります。

 

実際にこれをやったことはありませんが、

きっと、自分の心の中が手に取るように、

見えるカタチとして、出てくるんだろうなと思います。

 

人によって、いろいろな心のカタチがあるので、

比較したり、その優劣を競ったりするというよりかは、

客観的に自分のことを知るというのは、良いことだなと思います。

 

時に、絵画の作品で、キャンバスの上に収まらず、

額縁やかかっている壁にまで絵が伸びているものがありますが、

こういうのは、既成概念をキレイに壊される気持ちになります。

 

決まった寸法のキャンバスに、しっかり収まるのが、

何ら疑うことなく、当然のことだと思っているので、

こういうのは、まさしく雷を打たれたように、

得も言われぬ衝撃を、静かに受けることになります。

 

正解かそうでないか、感性の世界ではないものですが、

こういうのは有効なのかと、発想にひとつ加わるのは、

頭の枠組みが広がるようになるものです。

 

そもそも、「絵を描く」ことの原点をたどってみれば、

たとえば、洞窟の自然のままの壁に描くものならば、

その範囲や境界線は、あくまで恣意的なものであって、

境界線を引くというのは、後付けでしかないということでしょう。

 

もしくは、文化的・形式的に、キャンバスに描くようになって、

ただそれだけのことで、仕切られるようになっただけならば、

それを逸脱することも、良い型破りなのだなと思います。

 

意外と、自分では当たり前だと思っていても、

こういうことは往々にしてあるものですから、

人の意見に広く耳を傾けるように、柔軟に対応して、

変化をするところとしないところを見定めて、

人としての懐の深さを身につけていきたいものです。

 

また、キッチリしているのを好む自分を、

それでも、どこか愛おしくも感じながら、

縦横無尽に駆け抜けていきたいものです☆