手に技を持つこと

 

よく、「手に職をつける」というように、

職人技を身につけたり、資格に基づく職業に就いたり、

その分野・領域において、ひと通りできるのは、

生活することにおいては、有利であるように思います。

 

自分の知識や技術が、報酬にもつながるわけで、

その向上に努めるということが、最善であることでしょう。

 

もしも、得意であるとか、好きであるのなら、

そこにおいて活躍を目指すのは、しっくりくるわけです。

 

今の世の中、職業や肩書きの呼称として、

一体どれくらいの数があるのか見当もつきませんが、

かなり多くの人が、何らか専門的な技術や知識を得ようとして、

日々、懸命に勉励刻苦していることでしょう。

 

自分自身は、特別何かに突出しているわけでもなく、

そういうのに打ち込んでいる人を見ると、

一定の憧れや敬意を、素直に覚えることがあります。

 

それでも、今に至るまで、世の流れとともに歩んできて、

どうもそればかりが、確かなものではないなと、

徐々に思いを深めているのは、一方にはあります。

 

先日も、テレビで見かけたのですが、

職人の高齢化・後継者不足というのは、

改めて言うまでもなく、多くのところで深刻です。

 

また、作り出しているもの自体の、

そもそもの需要も減ってきているという、

当人の努力や頑張りだけでは、いかんともしがたい、

時代の趨勢がある例も、一部あるかもしれません。

 

それは、自分たちを取り巻く状況の変化、

生活の変化にも直結して、表れているもので、

たとえば、住居の洋風化が進めば、

自然と、畳の使用量=需要、必要性が減るわけです。

 

ドラマや映画、演劇において、

今は、時代劇があまり隆盛でないのも、

作品自体が、あまり作られないから、

着物やカツラなど、それを専門に扱う人や、

補修したり、一から作ったりする人さえも、

徐々に減っている実際があるようです。

 

大きく10年ごとのスパンで、時代の特徴を見ると、

1990年代と今では、様子が異なるのは当然で、

当時の感覚と今のそれに、開きがあるのを感じます。

 

そういった時代や社会の変化にも屈せず、

自分の選んだ「道」を愚直に突き進む、

その気概自体は、良いのかもしれませんが、

なかなかに払う代償が大きそうなのも、

少し心配してしまうのは、否めないところです。

 

逆に、これは決して楽をするということではなく、

時代の波に合わせ、その時々に合った方法論を駆使して、

余計な苦労を背負わないのも、賢明なのかもしれません。

 

このあたりは、自分の身を持って壮大な実験をしている気分で、

ことあるごとに検証しながら、工夫していくのが良さそうです☆