忙しないくらいの

 

個人的には、体験したことや見聞きしたもののすべて(の、特に良いことの多く)をできるだけ長く覚えていたいという思いがあります。

一度の機会でしっかり覚えているというような記憶力の強さはないものですが、何度かやるとか断片だけでも知るとかして、どうにか今に留めていることが多いものです。

これは、"思い出"としていつまでも大切にしておきたいというよりかは、今後のために、いろいろなことを覚えている方が役に立つこともあるだろうという思いから出ているものです。

そのためには、その時々で、ひとまずメモ書きで良いから手元に溜めておいて、一週間とか一ヶ月とかで振り返るようにしてそのメモを整理する必要があります。

場合によっては、清書するとかファイルに分類するような作業が脳内で行われていて、そういう時間を捻出することもまた必要になってきます。

そこでは行きつ戻りつ意識や行動をしていることになるので、ある意味では「時間がかかる」ということになってきます。

「後先考えず、ひたすら突っ走るのみ」という発想・観点から見ると、少しもどかしいような気持ちになるかもしれません。

もっとスピードを上げる、もっと広範にわたって網羅する、代替すればそういうことだって十分にやり得るということになります。

音沙汰ないのが無事の知らせであるように、表向きは何をやっているかわからないようなところで、物事は急速に進んでいくものです。

脳の働きとして、一応あらゆることが記憶されていて、必要かどうかのところも自ずと整理しているようなので、自分自身が普段から気を張ってやる必要はあまりないかもしれません。

"心を亡くす"ほどに忙しくなっては、心身ともに疲弊するでしょうから避けるとして、それでも少し前のめりになっているくらいでちょうど良いのかもしれません。

反省しないとか振り返らないということでなく、もう少し広い間隔で行うことで、より遠い、より深いところまで一斉に行けるような気がします。

最初に勢いをつけるところに大きなエネルギーが費やされるそうですから、とにかくはじめることでしかどうにもならないというわけです。

適度な慎重さも持ち合わせながら、ほとばしるように突き進む大胆さもあって良いということでしょう。

動きが鈍くなることのないよう、軽やかに歩を進めていきたいものです☆