惜しまれるくらいの

 

自分のことをやっていくうちに、いつの日か移動していくのだとしても、今いる場所で惜しまれるくらいの、そういう取り組み方をしておくと良いように思います。

引き留められることもなく、あっさりそうですかというのも寂しいものではあって、それではいてもいなくても構わないということになるのかもしれません。

もちろん、思い留まらせようとしてもそうはならなさそうだとか、次へと向かうのを積極的に応援したいというのもあるでしょう。

そういういずれにしても、応援してもらえるだけの気持ちになるほどに、自分のやっていることが実のあるものなのか、それは知っておくのが良さそうです。

そのためには、1日ごとしっかり取り組むというのも大切ですし、あるいは期限を決めてみるというのも良いかもしれません。

良くないのは、漫然とやるとか、どうにも周囲と調和が取れないというようなことであって、わかりやすくはやる気があるかどうかということになっていきそうです。

最初から高い評価を得られるはずもなく、それは少しずつの積み重ねであって、たとえ思うようにならなくても、逃げ出さないでしっかりやるというのが良いわけです。

知らないことは知るようにする、できることを増やすなど、知識や技術が自分の身につくというのみならず、そうなろうとしている取り組みを案外周囲の人は見ているものです。

実際できているかどうかはわからないけれど、できるようにしているのが好ましく、上手にできているけれどさらなる工夫をしないようではいけないように思います。

日々のそういう向上を心がけていくうちに、欠かせない存在であるとか必要とされるようであるとか、いないことを惜しまれるようになっていくと良いでしょう。

かえって今にしがみついている人は、その変わりようのなさに敬遠されてしまうかもしれません。

これはまた因果なもので、いつまでもいるわけではないと決めている方が、かえって貴重なことになるというのはあるでしょう。

いつまでもいるのか、やがて移動していくのか、その決定はその時々の状況があるので一概には言えないものですが、それをいつも頭の片隅に入れているのかどうかの差は大きいのかもしれません。

昨日の続きが今日の続きで、今日の続きが明日になるかもしれないけれど、そいういう保証はどこにもないだけに、瞬間ごと熱心にいるのが良いように思います☆