物事の決定のプロセス<保存用>

 

"あらゆる現象は、すべてメタファー(比喩)である"という言い回しが、誰かの代表的な発言としてあるのかどうか、あったのかどうか、そこまでの確たる自信はありませんが、ふと脳裏に浮かんできました。

この言い回し、もう少し正確にはヘルマン・ヘッセ(19~20世紀にかけて活躍したドイツの小説家・詩人)の「メルヒェン」にある"地上の現象はすべて一つの比喩である"のようで、いくらか自分なりの解釈を盛り込んでいたようです。

いずれにしても、何かを取り上げるということは、別の何かにたとえているということかもしれず、何かのたとえはまた別の・・・というようにつながって、事実と比喩が交互に折り重なっていくもののように思うものです。

今回はこの言い回しの真意にどれほど肉薄できるのか、それはまた、普遍的な何かに触れることができるかもしれず、そんなことをそれとなく思いながら、それでも基本的には思いつくままに進めていきます。

今回のテーマとしては"物事の決定のプロセス(過程)"を取り上げていきたく、それにあたっては楽器のベースを題材にしていくと十分すぎるほどに紐解けるのかなと思っています。

なぜベースなのかは後述するか割愛するかは(メインのところでだいぶ長くなりそうなので、今のところ)定かではありませんが、基本的には4本の弦からなるベースはバンドサウンドの低音部を担い、リズムとメロディーの架け橋となるのが大きな特徴でしょう。

もちろん5弦とか6弦とか増していくことで、扱える低音が増えてより多彩な演奏や表現ができますが、それはまた異なる工夫であり、異なる観点になっていくように思います。

こういう、思いつくことのひとつひとつを検証していくと、ベースという楽器の持つ奥深さや可能性を大いに感じることができるわけで、それをこれから展開していきたいところでもあります。

どこから取り上げていくにしても、その奥深さや可能性を下支えすることになるでしょうし、あとはいかにわかりやすく展開していくのか、それが焦点となっていくでしょう。

具体的にはベースの話が続きながら、それでも取り上げたいテーマは"物事の決定のプロセス(過程)"であって、多くの物事は構造を伴って存在しているということを、メインのテーマにからめて明らかにしていけると良いなと思います。

行きつ戻りつ、少しずつ掘り進むようにして話は進んでいきますが、書き手としてもそうですし、読み手としてもぐいぐい引き込んでいくためには、見えないところでも丁寧に手を施す必要があります。

気づかなくて構わないものではありますが、呼びかけにおいても構造を伴っているのだとほのめかしておきたく、あらかじめ念頭に置いておくと、よりスムースな理解や全体の把握に役立つかもしれません。

こういう、物事をとらえる視点についても知ることは多いものですが、ベースの本体を手に入れて音を鳴らすということを"極めて"シンプルに考えれば、かき鳴らす楽器本体があって、その音を増幅して響かせるアンプを用意すれば十分と言えるでしょう。

この潔いくらいにわかりやすいセッティングは、ベース本体にシールド(コード)を指して、もう一方をアンプにつなげる「直アンプ(ちょく・あんぷ、じか・あんぷ)」という行為で何の装飾もないもの。

もしも、それを十分な出力で鳴らすとか、どこの場所でも同じように鳴らしたいとなれば、アンプで鳴らす前にプリ・アンプを組み込んで調整するのも良いでしょう。

また、音色や響きのところで工夫をしたいとなれば、各種エフェクターやボードを挟んで多様さを演出することもできるわけです。

あるいは、より良い音を聞き手に届けるために、アンプで鳴らした音を拾うばかりでなく、その手前で電気信号として拾うDI(ダイレクトボックス)を活用して、余計なノイズを取り除く効果を期待しても良いかもしれません。

そうやってキレイに整えるのでも良いし、音は空気を伝わってくるものなので、その場の雰囲気も含めてそこで鳴っている音を拾うのも別の魅力があります。

このあたり、音楽をスピーカーで聴くのか、イヤホンやヘッドホンで聴くのか、それぞれの良さがあって、同時にそれぞれの違いがあることに似ています。

アンプとか何らやを考えていくと、ベース本体のみならず、音を鳴らして響かせるためにはいくつもの段階を経るわけで、どこでどうなっているのか、部分と全体の双方を鑑みていくことが大切であるように思います。

このベース本体からはじまって、聞き手の耳に届くまでどのような工夫をしていくのかを考えるだけでも見るべきところは多く、おそらく(ヴァーチャルな)紙幅を多く費やしてしまうものです。

しかし、ベース本体の工夫だけも尽きることのないものがあると思います。

ここまで駆け抜けたところで、ようやく言いたいことの入り口にさしかかってきたので、そこに続いていくよう、ベース本体の工夫について取り上げていきます。

きっとセオリー通りにいくのであれば、真っ先に取り上げるはピックアップによるタイプ分けではないでしょうか。

弦の振動をとらえて電気信号に変えていく箇所で、大別するとジャズ・ベース(JB)、プレシジョン・ベース(PB)があって、形状の違いやセットの仕方によって音色が変わってきます。

どのピックアップを選ぶのかと同様、ネック寄りかブリッジ寄りのどこにセットして音を拾うのか、それによって聴感の差異が生じることもあります。

もちろん、他にもハムバッカーのピックアップもありますし、それらピックアップを斜めに傾けてセットするとか、ボディから上に出る(=弦に近づく)高さをどうするかもあるでしょう。

そして、これは塗装やシェイプに目がいくあまり、結構見落としがちになるのかもしれませんが、ベースの本体やネックの大部分は木材です。

つまり、どの材質のどの部分を使うのかとか、どれくらいの年数のどの材質を組み合わせるのか、それが音色や本体の鳴りに大きく影響してくるわけです。

弾き方とかフレーズということも魅せる上でとても大切なことですが、どういうベースを選ぶのかによってそもそものパフォーマンスが変わってくるように思うので、しっかり見ていくことが大切です。

どちらかというと中身が詰まっている方がよく鳴るし、よく響きもするだろうと言われており、代表的なところではアッシュ、アルダー、マホガニーがあります。

この木材自体を追求するのは、樹木自体の育成の年数、乾燥する年数、どこの地域で採ってどこでどのように加工するのか、林業とか木工とか、そういう分野も網羅したくなるもので、今は控えめにしておきます。

ただ前述のような木材では、その分だけ重さが増すというのがあるので、もしも長時間演奏するとか、ステージ上でたくさん動き回りたいとなれば、厚みや大きさはできるだけ控えて本体自体の軽量化を図ることも考えなければいけません。

ベースを構える姿勢としても、片方の肩にかけることが多いだけに、その分カラダのゆがみや肩こりの原因ともなってしまいます。

そこに関しては、ボディの形状や厚みをどうするのかもあって、また、ピックアップに何を選ぶのかも含めて、弾きやすさ、音の鳴りや響き、余韻(サステイン)のようなことも考慮するのが良いわけです。

もっと厳密に考えるとするならば、出したい音についてまわるであろう倍音のことも考えたり、塗装、これすらも鳴りに関係あるかもしれないと思い至ったりして、使うネジやベグ、ブリッジ、その他の金属部品においても同様のことが言えるかもしれません。

本体に続いてはネックについてで、これは左右対称か非対称かのヘッドの形状、ボディと同じ色合いにするマッチングヘッドにするかどうか考えていくことになります。

そして、ボディとの接続で、ひとつの木材で仕上げるスルーネック方式か、材質が同じでも異なっても留めることのできるボルトオン方式のどちらにするのかが、実はベース本体で最も考慮することなのかもしれません。

スルーネック方式は、そのひと続きの構造で全体が鳴りやすいので、弾くたびに起こる余韻(サステイン)に有効であり、ベース全体の鳴りに効果があると考えられます。

これについては、一体化している強みがある分、ネック自体を容易に変えることはできないし、使っているうちに生じる反りや損傷に関しては大幅な修理・補修が必要になるというリスクはあるかもしれません。

一方のボルトオン方式では、木材の相性を組み合わせながら試すことができるという点において、それは秀でた構造・特徴であると言うことができるかもしれません。

ついでに言えば、それぞれの音階ごとに打ってあるフレットを外すと、指板がひと続きになるので、そのフレットのない(フレットレスの)方が音の動きが滑らかになる効果があるという発想もあります。

次第に微に入り細を穿つようになっていくわけで、数多の要素の組み合わせと積み重ね、より良いものを目指すにはより多くのことに気を配る必要があるということなのでしょう。

「良い音」と言ってもいろいろな解釈があって良いわけですし、また、ベースと一口に言っても、いくつもの部分を組み合わせる精巧なパズルのようで、どれくらい気を配っても終わりがないくらい、それくらい手の施しようがあるということを表しているわけです。

それだけとことん突き詰めていくとその分奥まっていくものですし、どこまで進んでも壁に突き当たるどころか、その壁自体が次の段階につながる扉であるようなこともあるかもしれません。

可能性の扉をいくつも開けていくことで、自分自身が思ってもいなかったようなところに出ることもあるでしょうし、新たに知ることも多いはずです。

終わりのないのが終わり、それはまた魅力に溢れる状況であるように思います。

ここでもう少しプレイに寄り添って考えてみると、ピック弾きなのか指弾きなのか、ピック弾きならば何を使うのか、素材もそうですし厚みや形状によっても音色が変わってくるものです。

それに伴うように、同じチューニングにしても、より太い音を望むようであれば弦は太めのセットを用いるとか、ダウン・チューニングにするのでも、太いセットの方がたるみにくいはずだとか考える必要があります。

プレイのしやすさでは、薄めのピックで細めの弦を用いる方が、余分な力を用いないだろうから、無理のないタッチになるかもしれません。

それに加えて、ネックからボディに続くあたりからブリッジ寄りまでの間の、どの位置で弦を弾くのか、それによっても音色は大きく変わるものです。

弦の振動はその長さと加える力によって変わるので、指弾きしかり、ピック弾きの場合でも押し当てる位置と角度、これだけでも音色は千変万化するといっても過言でないくらい、多くの追求する余地があるでしょう。

弾くフレーズやテンポの早さ次第では、できればフレットと弦の間隔が狭い、弦高は低い方が良いとなりますし、ピックで力強く弾くとか、同じ方向で弾くダウン・ピッキングのためには間隔を空ける、つまりは高い方が良いとなるでしょう。

この弦高もそうですし、ネックの握り具合や弦同士の間隔もまた、プレイのしやすさと出る音色に関わってきますし、前述のピックアップとの間隔も考慮しながら、弾きやすさと音色の良さのバランスを図るのが良いでしょう。

あえて弾きにくい組み合わせで強引にプレイするというのも、そのアンバランスさやいびつさを表現することになって、意外性をもって受け入れられることもあるかもしれません。

また、弦の太さや高さに関連して言えば、どれくらい張っているのかというのもプレイのしやすさや聴感の差異に現れてくるので、どのテンション(張り具合)を好むのか、これも重要なところです。

これが弦をどれくらい巻きつけるのか、またヘッドの巻き取る位置にも関わってくるので、より太い4弦や3弦側を張りたいとなれば右利き用ではなく左利き用のヘッドを用いて、"リバースヘッド"にするのも良いでしょう。

これはフレーズや運指にも関わるところで、あまり高音域を使わないとか、ネック寄りのハイポジションを使わないということにもなっていくので、ベース本体の特徴がプレイにも現れてくるということでもあります。

十分なテンション(張り具合)を得るための他の発想としても、フレット自体の長さを変えて、通常32インチくらいのところを33~34インチにするロングスケール仕様にしても良いわけで、それによって響いたり鳴ったりする音だけでなく、見た目の変化ということにもつながってくるのが興味深く思うところです。

あとは、ブリッジに何を用いるとか、弦のもう一方をとらえるのに本体の表通しか裏通しかで、弦のテンション(張り具合)や見た目に変化がありますし、ベース本体をどの位置で構えるのかでストラップの長さや素材、ボディ本体のカラダへのフィット感なども考慮していくことになります。

指弾きは親指を固定して、人差し指からはじまって2本から4本を駆使する奏法で、指で直接弦を弾くため、丸みを帯びた音であるとか、太めの音とかを出すのに適していると言われています。

もちろん、親指も用いてのスラップ奏法というのもありますから、これだけでも十分に多くを語れようというものです。

ピック弾きにしても同様で、弦に対して上から弾くのか(手前から腕を下げて向こうへ行く)、下から弾くのか(腕を上に戻すように持ち上げる)のか、またその組み合わせで奏法が変わってきます。

上から弾くのと下から弾くのを交互に行うオルタネイト奏法では、行って戻ってと動きをスムースにできる分、早いフレーズであるとか、弦の間の移動するとかに有利であるように思います。

この、行って戻ってを繰り返す時に、ピックを弦に当てる角度を同じようにすれば、音の粒をバラつかせることなくそろえる効果も見込めるものです。

ベースを構えるのにも、弦にピックを押し当てるのでもできるだけ水平にするのが好ましく、または角度が変わろうとも同じような力加減にするのが、強く意識の傾けるところかもしれません。

または、ひたすら上から下にしか弾かない、ダウン・ピッキングで勢いを増すエコノミー奏法も良いでしょう。

これは、シンプルに方向が同じでやりやすい一方、弦を弾くのは上からのみ、そこから元の位置に戻す早さを意識する必要があるように思います。

こうした、見た目、音の良さ、扱いやすさなどを含めながらこれだけ手を施していますし、そのベースは一回使い切りであるはずもなく、維持するのにやりやすいとか、安定して同じように鳴らせるように工夫していく必要があります。

鳴りの良さとプレイスタイルとの兼ね合い、前述の材質をどうするか、いくつもの要素とも関わりながら考慮していくことになります。

とことん追求するのであれば電圧による影響も考える必要があって、日本の西側と東側でも異なりますし、海外の電圧や気候によっても異なることは知っておくのが良いでしょう。

さらには、もしもエフェクターやチューナーとかで電池を使用するようであれば、その電圧も知っておくと良いものです。

繰り返しになりますが、ベース本体は木材でできているので、できるだけ乾燥している方が鳴りますし、ネックの反りやボディの調子も整いやすいので、亜熱帯に位置する日本では湿気には十分な注意を払っておきたいものです。

ここまで述べてきて、どのようなベースを用いるのか、どのようなセッティングにするのか、それによって鳴らす音は変わってくるものです。

しかし、最も大切なのは自らベースを構えて弾くことですし、その前提としては自分の心持ちというのがあるということです。

「思いっきりロックするぜ!」となれば、力強く弦を弾くことになりますし、ステージを所狭しと動き回ることになるでしょう。

上手く弾けるかどうか、それ以上に伝わる何かがあるのか、決してパソコンの画面上で描かれる波形とかスピーカーの音量の数値ではない、そういうものでは表したり計ったりできないくらいの"熱さ"を醸し出していきたいものです。

また、プレイする人自身にしても、人の身体の70%あまりが水分であって、水面に石を投げれば波紋ができるように、誰がプレイしているのかだけでなく、どれだけ自分自身が鳴っているのか、どれだけ鳴っている音と一体となれるのか、これもまた大きく関わるところのように思います。

どれだけ良い音を鳴らしよく伝えられるのか、つまり、どれくらいの良導体となれているのか、折に触れてそういう観点で自分を省みるのが良いのかもしれません。

読んで字のごとく大きく感動している状態は、心を震わせるとか、打ち震えている状態でもあるので、普段からいかに心を動かしている状態にあるのかを見て取っていきたいものです。

まるで機械のごとく正確無比な演奏ばかりでは、聞き手の心を打つようなことはなく、感動で震えているくらいの状態がグルーヴを生み出していくことも考えられるものです。

何とも言えない揺れや"ゆらぎ"、こういうものは生身の人間であるからできることのように思います。

そういうことを踏まえながら、レギュラー・チューニングEの4弦、その開放弦(つまり、E音)を一発鳴らすだけで聞き手を唸らしてしまう、あらゆる理屈や理論をすっ飛ばしたところに、ベースにおけるプレイの究極があるようです。

いわば、天高くある理想の一音のために、空中にどうにか階段やら梯子を設けてつかめる位置にまで手を伸ばそうとする、それが日々の取り組みということになるのでしょう。

自分の鳴らしたい音が自分の頭や胸の内にあって、それが原点であると同時に最終的な目標であるように、足元から延びる道のりは理想へのひとつ続きとなるのかもしれません。

ここから先は後半に続く、これで折り返しになりますので、今のうちお手洗いや腹ごしらえを済ませておくと良いかと思います。

あるいは、遠くを見やって目の緊張をほぐすのもナイスですが、そんなことを考えているうちに、続きは明日にお届けするのが良いなと思うようになりした。

それではまた、しばらくの風呂やら睡眠などの休息ののち、後半でお目にかかりましょう。

<後半に続く>

<前半の続き>

というわけで後半まだまだ続きますので、深呼吸を適度にしながら楽しんでいただけたら幸いです→

こうして、概ねベース本体の仕様やセッティングについて展開してきたところで、一旦、別の切り口から考えてみたいと思います。

たとえば、どのような音を出したくて、どのようなベースを用いるのか、いくつもの考え方やアプローチの仕方がある中で自分なりに選び取っていくことが大切です。

言い換えてみれば、「1+1=2」のように、今あるものを足して「2」に行き着くのか、あるいは、さらに数を増すようにして「3」とか「4」を狙っていくのでも良いでしょう。

これが、もしも「2」という答えを得ることを強く思っているのならば、その途中は「1+1+3-2-1=2」とか

「1+3×2+1+2-3×2-2=2」みたいな順序を経ても良いわけです。

この場合では、ノイズをあえて出してノイズを消すとか、まるで絵画のまっさらなキャンバスに一度黒を塗りたくって、その上に白で塗り直すようなことがあっても良いかもしれません。

一方、数を増すようにしていくアプローチであれば、本体に多くの趣向を凝らすばかりでなく、スピーカーを多く積んだり、エフェクターをいくつもつないだりして、求めるものに近づいていくことになるでしょう。

そうやって比較していくと、先に目的や結果を見るのか、または手段や過程を見るのかによって、必要に応じて足したり引いたりするわけで、よりどちらに重きを置くのかの差異になっていくように思います。

これは、一体どれが正しいのか、たったひとつの(絶対的な)正解を選んでいくというよりかは、いくつもの正解がある中で最も求めるものに近いものを選ぶ、あるいは考えを重ねて正解と思えるようなものを選ぶことと言えるでしょう。

自分の気持ちや考えの状態もありますし、それは時期や時代によっても異なるもので、自分がどういうモードにあるのかを知りながら、その時々の正解、つまりは最適解を探っていく試みになります。

そこで、これが今の流行であるとか、誰々がこう言っているということに逐一目や耳を向けるのは、その素直さであり、まさに参考にする上では大切なことですが、単純に追従するようでは、自分なりの模索はそこで終わってしまうように思います。

あくまでもどこかにある、最高に「良い音」のために試行錯誤を繰り返す、そして、自分なりの(その時々の)正解を積極的に追い求めていくことが大切なところです。

もしかすると、順当に考えや予想を重ねるばかりでなく、数字で考えるようなところに他の言葉や記号を差し込む、そういう異質なものを入れて現れる効果を期待しても良いかもしれません。

どのような考えの切り口で、どのように考えを展開していくのか、自分の考えがどういう枠組みのものなのかを知っていくと良いと思います。

ともあれ、自分はこういう音を出したくて、そのためにこういうプレイでこういうベースを使うのだと、小さなところでの変更・改善は尽きることはないでしょうが次第に定まっていくものです。

それは一途に貫いていくのが良いのかもしれませんが、ともすれば相反するようなところで、ドラムと連携してバンドサウンドの土台をどう支えるのか、または、バンド全体でどのようなアンサンブルにするのか、それにしたがって自分のプレイやベースを合わせていく必要があります。

突き詰めれば、ドラムのキック、バスドラムがどの口径や深さのものなのかも影響しますし、ギターも、多く弦を張ってベースの担う低音部分に差しかかったり、各種エフェクターで多くの効果を出してアンサンブルに影響を及ぼしてきたりするかもしれません。

自分の求める音、それはプレイスタイルにも通じるものでもありますが、揺らぐことのない一途なところと上手く調和・融合する柔軟さとがあって、それらをともに持ち合わせて対応していくのが好ましいように思います。

主張をともにたたかわせながら押したり引いたりする、単にそれだけでなく、それにともなって新たな境地に行き着くこともあるでしょう。

これがバンドのマジック、その妙とも言えるところで、意外なもの同士を組み合わせたら、興味深いサウンドになることもあるかもしれません。

今で言うと、カレーライスにタピオカを入れたら味と食感に変化が現れるようなものかなとも思います。

ともあれ、バンドのアンサンブルを詳しく見るように、物事のバランスにおいては、あちらを立てると、こちらが立たずということがあります。

ならば、そちらを優先すると、他のことがまた問題となることもあるわけです。

うねうねと迷い出したらどこまでも迷ってしまうような、向きも位置もわからなくなるほどに広がる砂漠や大海、そこに投げ出されたような気持ちになるかもしれません。

東西南北どこに向かうにしても、今、自分がどこにいるかも知らないと、一様に北に向かうと良いよと言われても、どの方向にどれくらい向かえば良いかわからないものです。

なかなか困難な中にあっても大切なのは、自らピンを刺して、地図の上に座標を記すような気概や行為であって、それは決意や覚悟とも言い換えられるもののような気がします。

いろいろ取っ払ったところで自分の軸をどこか一点に決める、だからこそ、プレイもベースも後に続いて決まっていくものなのかなとも思います。

または、この素晴らしき世界に対して経度や緯度を定めるように、この時代、この場所、自分はここにいるのだと知ることが大切です。

自分の居場所や立ち位置があるから、相手との距離感や向き合い方がわかってくるし、そこからはいかようにも変えることもできるだろうというわけです。

物事の決定、こういう例は身の回りにたくさんあって、たとえば住む場所にしても、日当たりを重視して南向きを選ぶと、エレベーターはなく階段を使うしかないとか、静かで良いけれど駅から遠いとか、会社に近いけれど買い物に不便とか、多かれ少なかれ何かしらはあるものです。

仕事においても、給料は良いけれど休みがないとか、好きなことをやれているけれど長期の海外出張があるとか、全方向に対して完璧に満足いくことはなかなかないものです。

それに比べ、自分の意思でできるとは言えども、着る服にしても、どの組み合わせにしても、どこからはじめていくことを知らないと、上着を替え、ズボンやスカートを替えとキリがなくなってしまいます。

ひとつの例として、黒いTシャツとジーパンを基本にするから、他も黒やモノトーンで合わせようとか、対比するようにカラフルに彩るのかを選ぶことができるわけです。

色で選ぶ、ブランドで選ぶ、値段で選ぶ、切り口はいろいろあれどもどこからでも構わなく、それは誰に指示されるまでもなく自分で決めていくし、同時に選んでいくものであって、きっとそれが最たる醍醐味のように思います。

お金や時間、その他の理由を鑑みながら、選択と決定の繰り返しで進んでいく、それが日々の過ごし方であり、大きくは生きるということにつながっていくものではないでしょうか。

資源や機会など、どれもが十全にあるとか、無限にあるわけではないようなところで、いかに充実を図っていくのか、自分自身のそれにはしっかり期待を上回って応えていきたいものです。

このように、住む場所、就く仕事、着る服など、考え方の発想として、不足を不満ととらえるのではなく、満ち足りているところをとらえながら、それでもっと良くしていくためにどうするのが良いか、そういうところに知恵をうんと働かせるというのが良いでしょう。

今ないものを"ない"ととらえると言うより、今はまだない、この先はあるかもしれないというようなアプローチで、いつか手に入るかもしれないと思っている方がウキウキと心踊るのではないでしょうか。

理想についても手が届かないことを憂いてしまうのではなく、たとえ今が至らないのだとしても、どこまでも追い続けられる理想があることに喜びを感じていられるような、そういう心持ちでいつもいたいものです。

これまではこれで十分、さらに突き詰めるには何をどうするのか、そういうアプローチで臨んでいくのが自然であり、至極健全であるように思うわけです。

自分自身の葛藤や工夫のみならず、誰かとの関わりにおいて日々が成り立っています。

これも前述の通り、相手の意見や周囲の意見を取り入れるのも良いけれど、自分はかくあるべしというものを持っておく必要があって、自分はこうであるとか、そうしたいとか、それがあるから、どんな立ち居振る舞いをするのか決まってくるわけです。

それをシンプルに考えてみれば、なるほど"物事の決定のプロセス(過程)"とは、論理的に理屈を積み重ねるばかりでなく、自分が何を望んでいるのかを知ることなのかもしれないと思うようになります。

自分の心の内側を計りながら、それをかなえていく、そういう試行錯誤の果てにに何にたどり着くのかは、日頃の倦まず弛まずやることでしか届かないものかもしれません。

もしもそれがそういう紙を一枚ずつ重ねるようなことであるならば、それこそ継続して取り組んでいきたいものです。

決めるのは自分であって、自信があるかどうかもそうですし、何を思い、何を望むのかも自分次第、そんなことまでふわり敷衍して見てみれば、また見えるものも変わってくるかもしれません。

ここで今一度ベースや音楽の切り口を持ち出して考えてみたいわけですが、今の自分、なりたい自分を含め、あなたの「人となり」があります。

それは文字に表せば「人と成り」でしょうが、今回のテーマにからめてみれば、これは「人と鳴り」とも表せるのかもしれません。

楽器やバンドサウンドからはじまっていくうちに、どう"鳴りたい"のは、自分自身がどういう人に"なりたい"のかに通じると言っても決して過言ではないはずです。

楽器の話をしながら、あるいは、バンドサウンドの話をしながら行き着くのは、どのような生き方、それは普段の日々の過ごし方をどうしていくのかと、そういう観点に続いていくもののように思います。

そうやって考えたり、行ったりする、その過程、決定のプロセスがあなた自身の「スタイル(様式)」というものになるのでしょう。

ならばえいやと、たとえば良いベースを手に入れれば、良いプレイヤーとなれるのか。

これは、値段の高さとも似ているかもしれませんが、果たしてそれを操り扱うだけの技術や度量が自分の側にないと、惜しむらくは宝の持ち腐れ、その力を存分に引き出すことはできないでしょう。

確かに、技術の粋を凝集したものだけに良い音は出るでしょうが、心震わすほどのリアルな良い音を出したいと思って出そうとする、そのあれこれ工夫する前のめりの姿勢・心構えがより尊いのかもしれません。

その一環として、丹念に手入れしたり、何年も弾き込んだりすることで次第に自分好みの良い音が出てくる、このことはあっさり見過ごしていけないことです。

これは、楽しい日々や良い人生、幸せになるようなことでも同じことが言えるかもしれず、言い換えどころかそのまま置き換えることができるでしょう。

今を楽しむ、今日を良いものにしようとして生活をする、その営み自体が幸せだと"いつも"思っていれば、それがすでに幸せなのだろうし、やがて振り返ってみた時にも十分に願うものになっているのではないでしょうか。

これは、決して妥協するものでもなく、いろいろ折り合いをつけながら、かつ、自分の理想を盛り込みながら、総じて良いよねとなるのが高く望むことではないかと思います。

今回、なぜベースの例を用いて、ここまで延々と展開してきたのか、それは次のような理由・背景があります。

今年のはじめから春先にかけて、LUNA SEAやソロ活動で活躍するベーシストのJさんが、およそ28年連れ添ったESP(Electric Sound Products)を離れ、新たにフェンダーFender)と手を組んだのがひとつ話題となりました。

Jさんの代名詞とも言えるTVBベースが、音色においてもデザイン、シェイプなど全体においてひとつの完成を迎えたということで、ここからさらに模索をしていくというのが、ひとつ大きな衝撃でもあったわけです。

長きにわたって活躍し、音楽の真髄にまで行き着いているようにも思いますが、ここでまた"もっともっと"とより良いものを追求する姿勢に大いに感銘を受けました。

今回のJさんにおいては、ベース本体を一新することで、ベース・サウンドのデザインに大きな変化・革新をもたらしたわけですが、"物事の決定プロセス(過程)"はこれに似たところがあって、ひとつの考え方として意識して身につけておきたいと思っています。

Jさんの"もっと、もっと"という、気持ちの熱さにおいても、さらなる高みを目指す姿勢・心構えにおいても、とどまるところを知らないその様子に、憧れながらもどこかで追い越せるように取り組んでいきたいものです。

今夏の新しいアルバム『Limitless』も、文字通り"限りなし"ということで、また新しい局面に突入。

LUNA SEAにおいても、結成30周年を迎え、機動戦士ガンダムとコラボレーションしての『宇宙の詩 ~Higher and Higher~/悲壮美』があるなど、また新たな段階に差しかかっているわけです。

LUNA SEAにおいても、ここにきて完璧にして完璧にあるのみならず、それも遥かに超越するようにますます円熟味や魅力を増すばかりなのです。

また、前作『LUV』に続く新しいアルバムを、U2を手がけたこともあるスティーヴ・リリーホワイトをプロデューサーに迎え鋭意作成中ということで、ここから年末にかけて大きなお楽しみが控えているわけです。

年月を経ることは、朽ちることではない。

もっとステキな大人になるということは、きっといくつになってもできるような気がします。

色気も魅力もこれから。

今回は、比喩を重ねてそれらを行き来することで、何を表そうとしていたのか、自分自身でも結論めいて言うことはありませんが、縦横無尽に行き交うことで見えてくる模様はあるかもしれず、それで十分だなと思います。

目がくらむほどの多くの雑多な示唆、それだけでも考える材料はたくさんあるのだから、それに従えば大いに可能性を見いだすこともできようかというものです。

あるいは、今の思うことや思いつくことのあらかたを出し切ることで、その次が見えてくるというもの。

こればかりは、出し切らないと見えてこないだけに、次をどうこうするということではないのが、因果のなせる業だなと思います。

そして、ここで忘れてはならぬのは、途切れることのないように、決して途切れないように行くことが大切であるように思います。

燃え尽きるのではなく焼き尽くす、そういう情熱や情念をいつも絶やさないでいたいものです。

WAKE UP! MOTHER FUCKER、今回はここまで、またお目にかかりましょう☆