意識の傾け方で見えるもの

 

何を見るにしても、それをどのように見るかで、

その後の結果というか、行き着くところが変わってくるものです。

 

たとえば、買い物をする時に、特に特定のものがあるわけでもなく、

それとなく「何か良いのがあったら…」と思っていては、

店内をくまなく見たところで、見つからないことが大半です。

 

これは、特定の"何か"が頭の中に思い描いていないために、

どれを手に取ったところで、それこそ"何か"が異なるわけです。

 

また、これは少し付随するようなことだと思いますが、

だまし絵(トリック・アート)の類でもそうで、

どう見るかで見え方が変わるというのが、

目や脳みその不思議な働きを感じるものです。

 

それだけ、普段から意識していることによって、

自分が望むものが眼前に来るのかどうかが、

大きく左右されているということなのかもしれません。

 

それが、具体的なモノだけでなく、情報なのだとしても同じで、

何かに夢中になっていれば、もっともっと調べるだろうし、

現実的に、どんどん行動に移すこともしていきそうです。

 

あるいは、自分が近い将来なりたい姿であったり、

実現させたい状況であったりすることもあるでしょうし、

そのような無形のものの方が、実際はうんと多いのかもしれませんね。

 

結構、名のある経営者とかアーティストのような人で、

大きな物事をなすような人には欠かせない能力・才能として、

どれだけ豊かに妄想を働かせることができるのか、

言い換えれば、どれだけ細部に渡るまで詳細に思い描けるのか、

そういう能力・才能がきっとあるのだろうなと思っています。

 

歴史を紐解いてはそういう事例は数多あって、

最初に、途方もないほどに大きな夢や目標を掲げておいて、

そして、それに一心不乱に向かっていくことで、

世の中の変革すらも起こしているわけですね。

 

宇宙に行く、空を飛ぶようなことの枚挙に暇はなく、

意識の仕方や想像力の働かせ方など、言い方も多そうですが、

最初の、未来を見る、頭の中に何を見るかの差が、

現実になるかどうかであったり、その大きさだったりします。

 

このあたりの、意識/無意識に関わる話題は、

今後も、何度となく繰り返してしまいそうですが、

それだけ重要であると同時に、なかなか会得しにくいわけで、

今後も、自分自身になじませるようにやっていきたいと思います☆