手に取るものは変わる

 

自分が10代の頃に憧れたものや良いなと思ったものが、年齢を多く重ねていくと、何らか様相が変わることがあります。

たとえば、スポーツ選手で長く活躍する人もいるにはいますが、野球やサッカーのチームで見てみても、10年、20年のうちに、運営会社が変わって名前が変わるとか、いくつかのチームが統合するようなことがあります。

それは、ファッションの流行ということでも同じようなことが言えるかもしれません。

今はどちらかというと服をピッタリと、あるいは、タイトめに着るというのが主流のような気がしますが、自分が中学〜高校に通っていたあたり、今から20年くらい前にはダボッとしたオーバーサイズのものを着るのが目立っていました。

そういうブランドやメーカーにも目を向けながら、いずれ自分も身につけるようでありたい、ぜひとも手に入れたいものだと(少しは)思いながら、しかし、今になってみれば、自分の気持ちも、巷の流行ということからも、「どうも今じゃない」という気もするものです。

面白い人が、以前であれば漫才師とかお笑い芸人を目指していたものが、最近ではYouTubeTikTokなどから出てくるように、やっていることの本質は変わらずとも、いつの間にか主戦場が変わっていることがあります。

そういう、見かけでのあれこれに目を向けてばかりいると、どこか見誤ってしまうこともあるかもしれません。

ここで大切なのは、自分の憧れや良いと思うことの本質をとらえ、それを今の状況に照らし合わせるということのように思います。

今の時代にとっては何がそれに当たるものか、新しい動きや流行を見つける以外には、むしろ、自分たちで新しいものを創造していくようなことがあっても良さそうです。

極端に言えば、今から「サムライ」のように生きると言って、刀を振り回してはただの危険な人物と思われてしまうように、たとえば幕末に活躍した人のようになりたいのであれば、今は、何を学んだり、会得したりすべきなのかは変わってくるはずです。

それが、英語を学ぶことなのか、日本中を旅することなのか、料理を学ぶことなのか、見かけでのやっていることは多岐に渡る、そういうこともあるかもしれません。

たとえ、どのような技術や知識をこの手に得るとしても、瞳の奥のギラつきを見れば、それが「サムライ」の真髄を湛えているかもしれない、そういう人を見極められるようになっていきたいし、自分もそうでありたいものです☆