普段話すにしても、このブログのように、自分自身で書くテーマや内容を決めて、思うままに書くのも良いけれど、誰かの設定したものに則するのも良いように思えてきた今日この頃、今回はそれについて考えてみようと思います。
いつも自分で考えているというのは、自分の「ものの見方」を光らせて、何か気になることはないか、何か思うことはないかと思いながら、周りを見渡し、日々を過ごしているということになります。
テレビかラジオかのアンテナを立てて、どのような電波が拾えるのか試す、場合によっては、自分で周波数を変えて聴きたいものにチューニングを合わせるようなところもあります。
それに対して、何かテーマやお題をもらって考えるということは、予期するかどうかに関わらず、自分が反応することに重きを置くということのように思います。
それは、野球の練習や筋力トレーニングをする時に、何をやるのか内容と順番を誰かに任せるようなことで、次に何が来るのか、何をどれくらいやるのか未知の状態にすることに似ています。
好きかどうか、得意かどうかに関わらず、与えられたものを黙々とやるしかなく、それはある意味で、弱点の克服や苦手の解消みたいなことが期待できるように思うわけです。
どうしても同じようにやっていると、自分のクセのような、何かしらの傾向が生じてきてしまうでしょうから、他の人の発想ややり方を真似るというのが、現状を打破するのに効果があることでしょう。
もちろん、自分自身でいつも工夫して、いつも変化しているように心がけて、その通りできることもあるので、時期によって、あるいは、その時々の考え方にしたがって変えていけば良いように思います。
誰かの意見や発言が気になるとして、そこにテーマを見出すか、または直接談判してテーマをもらうか、それだけでも大きな違いが生じてきそうです。
それを言い換えながら、違いを表してみると、視線がより外向きの状態になっているのか、または、自分の内側へ掘り下げる視線になっているかの差なのかもしれません。
自分自身は、今はどちらかというと、内へ内へ掘り下げるよりかは、何かテーマがあって、それでもって何が引き出されるのかを知りたいという、何か外に"きっかけ"がある方がやりやすいように思っています。
これがまたどうなるかは、今後の展開次第なので、その変化を楽しんでいきたいと思います☆