旅行くものとしての薫陶

 

なぜ人は旅に魅せられるのでしょう。

最近では、台湾が身近で人気の高いところかなと思いますし、フランスやイタリアなどのヨーロッパ、そして、ハワイ、ロサンゼルス、そして・・・という広大なアメリカなど、行くところにはコト欠かないわけです。

つらつらと場所を挙げていくと、結局地球上の全部じゃないか、それに宇宙旅行だって手が届きそうなご時世ですからなおさらです。

また、バックパックひとつで世界を放浪し、それもインドやアフリカなど、必ずしも治安の良いところではない地区・地域に行く人だっています。

結局、海外旅行だ国内旅行だというところで、「旅」というものが何なのかを自分なりにつかんでいるのかどうか、それもまた大切なことのように思います。

もちろん、その土地を訪れ、そこにいる人と話す、ゴハンを食べるようにして、それぞれの雰囲気や様子を感じないことにはわからないこともたくさんあるかと思います。

日本語が通じない、何となくどころかさっぱり行動の仕方や発想の仕方が異なるという具合に、勝手がわからないことばかりかもしれません。

きっとそういう時に、普段の生活の、それも何気ないことのひとつひとつに思いが至るのではないか、そのように思うものです。

ふるさとが遠くにありて思うものであるように、離れることによってその良さがわかるということはあると思います。

そして、もしもあらかじめそういうことがわかっているのなら、近所でもできるのかもしれません。

たとえば、最寄りの大きめの駅およびその周辺に降り立って、あたかも海外から来たかのような人になりきる、日本語を使わないでやってみるというのが良いでしょう。

駅の表示や看板の、英語の方を読んでみるとか、あえて地図を広げてみる、それだけでも随分旅行気分を味わえるように思います。

これは、以前に大泉洋さんの「水曜どうでしょう」でやっていたアイディアで、その時は確か札幌なんだけれども香港に見立てる企画・内容だった気がします。

自分自身においても、あまり遠くへは行かないし、海外もだいぶ行っていないのですが、実際行くかどうかはその時次第、それでも工夫をして、日々に刺激を入れていこうと思う次第です。

行けたら良いし、行けなければよしなに〜というわけです☆