適当で良いのか

 

何となく最近思うことのひとつに、"適当で良いのか"ということがあります。

最初から100点満点を狙うのと、それなりの80点くらいで構わないやというのとでは、当然意気込みとか熱意みたいなところで、取り組み方が変わってくるものです。

満点を取るのはなかなか難しいけれど、そうやって高いところに狙いを定めるから90点以上を取ることもできるわけで、これが、取れるだけの分で良いやとなると70点台でも上出来だみたいなことになります。

これが、普段の取り組みひとつにしてもそうで、"だいだいで良いよ"となれば100%のうちの70〜80%くらいが妥当なところでしょう。

そして、やらなければいけないこと(タスク)が100個あったとして、それも"だいだいで良いよ"となれば70〜80個ということになるかもしれません。

そうなると、全体の仕上がりとしては、最大でも80%×80個で、約6割しか網羅していないことになります。

これでは、丁寧にやっているのとはかけ離れてしまいますし、だいぶ抜け落ちているなという印象を持つものです。

物事を前に進めるためには、こぼれる量よりもすくい上げる量に重きを置いておけば良いのかもしれませんが、一方ではどうにかこぼれるものを食い止めたい思いがあります。

それに、自分で把握できることには限りがあるけれど、それでもできる限り把握はしておきたいものです。

しかし、あくまで"適当に"ということであれば、自分の知っていることはそれとして、それ以上に何かあるだろうということに気が回せないような気がします。

これは、取り組み以前の気の持ちよう次第なので、そこをどうにかしない限り、損なわれていることが多いような気がしてなりません。

そうして失ったことにすら気がつかないのは、結構惜しいような気がするものです。

一旦そうなってしまうと、何もかもが完璧である必要はないとしても、より良くしようという気持ちはなかなか持てないものです。

これはまた、自分自身が強く思うことであって、何となく食べて、何となく息をしていても命は長らえることができます。

そうやって、普段の取り組みもそれなりにやっていれば良いわけで、きっとそういうことの方が大半なのかもしれません。

あまり気を揉まず、そういうこともあるさくらいに思っておくと良いのかなと思います☆