時間とともに

 

その人を信用するとかしないとか、その人と密に関わりたいかどうかを判断する場合、決してそればかりでもないけれど、「時間に正確か否か」ということがひとつに挙げられます。

自分自身振り返ってみて、約束の時間に遅れるような人とは結局良好な関係を結んでいないことを思うと、これはだいぶ重視していることだなと思い至るものです。

特に、待ち合わせをしてどこかに行こうという最初の機会に、いきなり遅れるような人はどうしても怪訝に思ってしまいます。

それで不快になるとか、怒りを露わにすることはないものの、それ以降どうしようという気も起こらないということになります。

その時に来る・来ない、遅れるようなことはどうしようもないというか、何はともあれ来ないことにはどうしようもないから遅れようがこちらは待つしかありません。

あらかじめ連絡があって少し遅れるとしても、それがあったところで目減りした信用が埋め合わされるというわけでもないのが、遅れた当人はおそらく気がついていないのでしょう。

こちらもそれを指摘することはなく、何となくうやむやにして済ませてしまうので、同じようなことを人を変えて行ってしまう気がします。

何となく上手にコトが進まないような場合には、一度時間を守っているかどうかを自分に問いただしてみるのが良いのかもしれません。

それはさておき、時間を守ることがどれほど大切なのかを推し量りたいものですが、これは相手の待っている時間が何も生み出さないということに置き換えられるのではないか、そんな風に思うものです。

あるいは、相手の貴重な時間を無為に奪っているとも言うことができるかもしれません。

いずれにしても、思っている以上にこれは相手の信用を得るかどうかに関わっていると認識しておく必要がありそうです。

そして、時間に遅れるにしても、それを上回るほどの魅力とか楽しさのようなものがその人にあるとしたら、そこはいささか寛容にもなるというものです。

もしも相手のことを大切に思うとしたら、相手の時間を"いただいている"と感覚を持ち合わせるのが良いように思います。

ほんの数分でも、早めに着くか遅れるかの印象は大きく変わるものですから、いつも早めに行動するようでありたいものです☆