待ち合わせの時間であるとか、家を出る時間であるとか、その迫ってくるにしたがって時間の貴重さをより思うものです。
あと5分早く起きていたら、あと5分早く支度をしていたらといくら思っても、それを悔いているばかりでなく、今はどうにか間に合うことを考えなければいけない、そういう局面は少なからずあるものです。
これが30分の余裕をあらかじめ組み込んでいて、早めに行動するようにしていけば良いものですが、案外それに油断してやはり時間の迫りくるようにしてしまうのはなぜなのでしょう。
少し時間の足りないくらいの方が集中力が増す、あるいは、このわずかな時間で多くのことをこなさなければいけないと思って奮起する、それを知らず知らずのうちに願っているのかもしれません。
また、早めにやって冗長になるのでは、無為な時間も多くなるということで、余裕がないのは無駄がないということになるかもしれません。
このあたりの時間の流れ方は、自分の気持ちとあいまっているところもあるので、とかく不思議なものだなと思うわけです。
時間に余裕のある時には何も思わないのに、迫られれば迫られるほどに一分一秒のありがたみがわかるということはあるわけで、これはいつも大切に感じていられると良いなと思います。
また、こういう時間の感覚に関して、間に合うかどうかで考えている場合では、その時点で遅れる可能性が高くなっているということになります。
「間に合うかどうか」ということを考えなければいけない事態に陥ってしまっている、そのだいぶ前に陥るかどうかの瀬戸際がどこかにあったはずです。
そして、そのうんと手前には、いついつまでにどうしていたいという予定とか計画とかがあったのかどうか、それも確認しておきたいところです。
これが午前中までに何とかと思っていると、10時くらいでどうにかなるよりかは、やはり12時手前になってしまうので、もう少し積極的に11時30分までにどうしようと決めることが必要でしょう。
もちろん不測の事態も起こるでしょうが、何が不測かわからない、しかし何らか不測のことは起きるとして思っておくのが賢明と言えそうです。
時間はどうにもこうにも、一定の速さで流れているだけですから、その流れに上手に乗るか流れされるがままにあるかの大半は、自分の気の持ちようだなと思います☆