有用であるのと

 

自分にとっては有用な、それでいて他の人にとってもそうであるような情報や内容は、感動の勢いそのままに伝えたいと思う時があります。

ともに分かち合いたいということでもあるでしょうし、その情報や内容を用いてもらいたいという気持ちからはじまるわけですが、いささか注意も必要なのかなとも思うわけです。

その人にとってはそれほど重要でもなく、緊急でもない、あるいは、理解するのに追いついていないようなこともあるかもしれません。

こと仕事においては、会議の進行について考えている人に、上手に字を書くコツを話すとか、商談に臨もうとしている人にリラックスの方法を伝えるようなことを思い浮かべると良いように思います。

また、旅行に行こうとしている人に園芸の本を渡したり、水泳を楽しんでいる人に野球のバットをプレゼントしたりするような、少しズレたことになってしまっては元も子もありません。

また、しかるべきタイミングで、しかるべき相手に伝えないと、ただの押し付けのようにもなってしまうので、それは注意をすることかと思います。

それでも、少なからず、感動を覚えた自分自身がいるわけですから、さりげなく"つぶやい"たり、こういうところにメモ書きするように残したりするのが良いでしょう。

自分の中に膨大な情報や内容があれば、(自分にとっても)今は必要なくても取っておけば良いだけの話で、そういう引き出しの数を多くしたり、引き出しの大きさも変えていったりするのが好ましく思います。

そういうひとつひとつをより集めながら、伝えることもしていくうちに、どこかで伝え上手になっていくかもしれません。

そうなってくると、自分の伝え方ひとつでいろいろな情報や内容が魅力的に映ることもあるでしょうし、興味や関心を強く持ってもらえるかもしれません。

今は確かにそれほど必要としていない、ただこれは覚えておくに越したことがないとなれば、こちらの誠意や意図を汲み取ってもらうことでもあるので、それは嬉しいなと思います。

自分ばかりの思いだけでなく、相手の思いも汲み取りながら、そうやって見極めることができたら、そこでわかってくることも多いでしょう。

その見方なり関わり方がわかれば、何をもって有用とするのか、それもまたしっかりと把握できるようにも思うものです☆