雰囲気は醸成される

 

その人自体の持つ雰囲気というものがありながら、人が何人か集まればまた一種の雰囲気ができあがってくるように思います。

それはまた、ひとつの考え方の傾向であるとか、行動するパターンのようなところにも現れてくるように思い、そういうものはどこから発生するものなのか不思議に思うものです。

人が何人か集まる組織とかグループ、集団とかの雰囲気はどのようにしてなるものか、最も影響の大きいのは、それらを率いるリーダーとか長(おさ)ではないでしょうか。

家でいうと、子どもであるより親とか、年長者である場合が多いでしょうし、こういう雰囲気とか傾向というものは根強い影響を及ぼすものです。

元気がある、積極的である、思慮深い、控えめである、いろいろあるでしょうが、それは一定の向きで全体を覆うものだけに、容易に変わっていくものではないような気がします。

もちろん、それらすべてを変えなければいけないわけでなく、勇猛果敢にチャレンジするとか、とても魅力的なエネルギーに満ち溢れているという場合では、むしろそれらを推し進めていけば良いわけです。

ただ、どうにも連絡が滞り気味であるとか、必ずしも一致団結はしていないということであれば、どうにか工夫をして改善を試みるのが良いでしょう。

その時に、根強く影響を及ぼしているだけに、どういう手を講じるのが良いのか、しっかり見定める必要はあるということです。

こういうものは、ひとつのクセでもあるので、よほど自覚して気をつけない限り、同じようにして繰り返してしまうことでしょう。

また、各個人、少なからず関わっているところで、雰囲気の一部を加担しているわけで、決して無関係ではない。

自分自身でもできることはあるかもしれないし、いくらかの責任を感じながら向き合うことは求められるように思います。

それでも、自分の思うところと大きく異なるとか、そこにいると具合が悪くなるようであれば即刻離れるのが得策と言えるでしょう。

もしも自分なりに思う雰囲気の良さ、エネルギーの流れがあるのであれば、そこに向かうのが良いし、今の手前のところで試みるのでも良いし、他に求めるのでも良いでしょう。

どういう雰囲気のところで普段を過ごしているのか、これは心身ともに自分自身に及ぼす影響は計り知れないくらい大きいものがあるように思います☆