望んでいるものはどこにある

 

自分の好きな発想(たくさんあるうちの)のひとつに、

「何を知りたいのかはわからないけれど、

新しい何かを知る必要がある」ということがあって、

これは、人との出会いにおいてもそうなのかなと思っています。

 

特定の誰に会いたいというのがあれば話は別ですが、

誰に会えば良いかはわからないけれど、

とにかく新しい誰かに会うことによって、

自分の求めるものがわかるということがあります。

 

そして、その自分の求めること自体、

特定の何だということがわからないにも関わらず、

何かを求めていることが往々にしてあるものです。

 

そういう場合には、誰から何を知りたいかのかを、

事前に明確にすることも必要かもしれませんが、

"知りたい"気持ちひとつで、行動に移しながら、

人に接していくのが、わかる近道とも考えられます。

 

そして、その会いたい人に会って、知りたいことを知って、

そうして、事後的に自分の求めていたことは、

そういうことだったのかとわかることがありますし、

自分自身、そういう経験が何度かあります。

 

最近でも、分野とか領域のようなものでの、

知りたい方向はそれなりにあるものの、

結局、何を知ることができたら満足するのかは、

明確にはわからないまま、調べを進めるにつれて、

自分の知りたいことはこれだったのかと、

ある意味、想像以上に求めていたものに巡り会い、

ひとり快哉を叫ぶような気持ちになりました。

 

この場合は、どちらかというと知的な好奇心にもとづく、

知的な欲求のままに、調べを進めていたのですが、

それでも、自分の内面的な変化を求めていたり、

改善を試みたりするような時に感じる直観は、

きっとそのまま信じるのが良いように思いました。

 

それはまた"心の声"とも言い換えられそうですが、

素直なままに従っていくことで、

思いもかけない出会いや導きに遭遇することでしょう。

 

最初からこの道を選び、突き進んでいくことだけでなく、

行きつ戻りつ、寄り道もしながらでも、

それでも、前に進みながら、この道あの道と試してみると、

不意に、行きたい方向がわかって、視界が開けるのかもしれません。

 

おそらく、じっとしているばかりでは、

良くも悪くも何も、自分の身には起こらないことになるので、

ここは基本に戻って、①会いたい人に会うことにはじまり

②行きたいところに行く、そして、③やりたいことをやるうちに、

新たな何かを見出すことができるように思います☆