終わりに向かってまっしぐら

 

これは、おそらく何でもそうなんでしょうが、

終わりが目前に見えるあたりが、

どうにも踏ん張り時なのだなと思います。

 

ランニングをしていて、次はあの電柱、

次はあの角まで走って距離を伸ばしていって、

それで、定めたところまで走りきるような感覚です。

 

足が痛い、それでも走る?走りたい、でも足が痛い、

そんな葛藤を、内心では繰り広げるようにして、

力の限り、ひとまずは年内を走り抜ける、

それがこの時期に課せられた使命のようなもので、

"あと一歩、あと一歩"と自らを奮い立たせるものです。

 

書くこと自体、ほとんど厭うことはないのですが、

決めたことを決められたようにやっていく途中では、

どうしても自発的ではなく義務のようにも思い、

誰に頼まれたわけでもないのに、

うっかり力が尽きそうにもなるものです。

 

なので、年内で一旦終了なわけですね。

 

そして、それなりの分量を数えるようになってくると、

結局、興味の有無やその強弱のようなところも、

知ってか知らずか明らかになってくるもので、

時期によって、とらえる確度が異なっていたり、

異なるとらえ方で、同じことを語っていたりするもので、

全部をくまなく網羅するようなことはできないわけです。

 

急に、ここで「マリー・アントワネットに見るホニャララ」みたいに、

フランンスのある時代の、服装や時代について語ろうとしても、

それほど必然であるようには思わないのです。

 

興味がないわけではありませんが、

何かひとまとめにしようとするほどの興味はないので、

そこまで意気込むことができないだけのことです。

 

それでも、何かを書き記していれば書く内容を見出し、

書いていればまた次の展開が見えてくるので広げていき、

それがある程度積み重なってくれば、

自分で見返してみても、何か感じることがあるわけです。

 

本当に突き詰めて考えれば、言いたいことであったり、

主張しておきたいようなことだったりは、

ひとつかふたつくらいに集約されるので、

あとは手を替え、品を替えてやっていく程度かなと思います。

 

あとは、だいたい思うことの多くはここにあるのだから、

いくらか目を通して見るのが良いと、

今後は、それをお知らせする段階になるのかもしれません。

 

そうして、何かしら有益なものが誰かに届くようにと、

思いを込めて、カタカタと文字を打っているのです☆