人はひとりでは生きていくことができないのは、
ある意味、自明のことであって、
これに異論を唱える人はほとんどいないように思います。
先人たちからバトンを引き継ぐようにして今に生きているし、
今を生きている人同士で関わって、お互いに助け合って、
どうにか日々を毎日生きていることと思います。
そうして、大切に思うとか感謝を捧げるとか、
人によっての思い方は、グラデーションのようにあるものですが、
実際に面と向かっている時間は、相手のことを思っているし、
たとえそうでない時であっても、
真っ先に思い浮かべる人の、きっとひとりやふたりは、
誰にでもいるような気がします。
そうして、好意を覚える、好意的に思うような人もいれば、
毎朝起きて思い浮かべる、踏ん張り時に顔が浮かんでくるように、
誰かの存在が、自分の取り組みや課題に対して、
大きな勇気づけとなることもあるでしょう。
そのように思う時にはまた、未知なる力も湧いてくるでしょうし、
心に思う強さも、一層増していくように思います。
実際に会っていようがいまいが、一緒にいようがいまいが、
あるいは、過去の偉人のような今はいないような人であっても、
心に強く思い描く人は、自分にとっては"内面化"していて、
言葉を慎重に選びつつも、"偶像化"しているとも言えそうです。
自分なりのアイドル、アイコン、ヒーローなど言いようは違えど、
心の動きとしては似ているところが多いように思います。
今はまだ、的確に言い表せるような語彙や、
あるいは、それだけの表現を持っていないのですが、
おそらくは、宗教観のようなことを、
ここから説明することもできそうな気がします。
心に神様や仏様を抱くように、
あとは、それぞれの文化的な背景や文脈があって、
それに伴う物語も現れてくることでしょう。
恋に恋することも、こういう発想かなとも思い、
心で思う感情、頭で考える思考、
そして、実際の行動に移すことのうちで、
感情や思考の傾向が強いのが、
これに当てはまるように思います。
宗教に関しても、特定の宗教・宗派がどうというのでなく、
どういう成り立ちではじまって、多くに広まっているのか、
その根源的なメカニズムを知るのが、
それぞれの理解につながっていくような気がしてなりません。
誰を貶めるようなことでない限り、
思いつきや自由な発想は許されるべきですし、
てんで、的外れの恐れも同時にありますが、
ひとつの仮説としてとらえてもらえたら本望なのです☆