悩むというのと考えるのは異なるものですが、
深く考えていくうちに、妙な深みにはまっている、
最近はそんな心地がずっと続いているような気がします。
それこそ、日頃取り組んでいることは何なのか、
仕事における目的や成果を求めてもいるわけですが、
何のためにかというのを見極めておく必要があります。
しかし、今のここから目指していくということは、
今の手前のところで、その萌芽とでもいうような、
小さくとも何かしら理想がかなっていることが、
前提として少なからずあるのかとも思いますが、
実際はそうではない、そこでの歯がゆさを思うものです。
ぐるぐると考えていると、袋小路に押し込まれていくようにして、
やがては行き詰まる、それもにわかに感じてしまいました。
なぜここにいて、なぜこれをしているのだろう?と。
そして、これを突き詰めると、なぜ生きているのかという、
生まれてからのこれまでを振り返ることにもつながったり、
これからをどう生きていくかを考えたりすることになります。
こればかりは、誰かに相談してどうこうということでもないし、
何か気晴らしになるようなことをして、考えから気を逸らしても、
遅かれ早かれ、また直面することのように思います。
どこに答えがあるかもわかりませんが、
今はその答えを探して、日々葛藤している、
それが表現としては適切なのかなと思います。
それでも、じっとしているだけでは何も起こらないので、
人のすること、話すことを知るようにしているのは、
確かな、ひとつの有効な手立てかなとと思います。
詭弁でも曲解でも、物事を良いように見ることができれば、
ひとまずは、今の状態を打破できることでしょう。
決して心は荒れてはいないと思うわけですが、
荒れていないことに気がついていないだけかもしれない、
それは似て非なることですから、見極めは必要です。
前向きなのかどうなのかは定かではないものの、
時には立ち止まって、風の向きを知るようにして、
今後の行き先を決めるのも良いかもしれません。
基本的には、考え方のパラダイムシフトを行うのか、
おそらくそういうタイミングなのだろうと思います。
今がどういう状態なのか、恥じることなく書き出して、
それを整理整頓することで、光明も見えてきそうです。
いつの時も、いろいろ思うものですね☆