極まってくるもの

 

普段の取り組みにおいては時間は待つことなく進むばかり、目の前のことをこなしていかないといけないし、一方で、次の準備とか終わったことの始末をしないといけないものです。

準備、実行、振り返りなど、個人の生活においてもそうですし、大勢の関わる仕事においても念入りにやる必要はあるものです。

特に後者の方がより多くの配慮や心配りがあると良いものですが、使える時間に限りはあるもので、念入りにやりたいけれどそうもいかないのが現状ではあって、それでもどうにかしようというのが思案や工夫のしどころかなと思います。

時には突貫工事のようにやるとか、強引に乗り切ることもあるでしょうし、それでもどうにか修復や補強をしながら進んでいくことが大切です。

『ワンピース』ではフランキーが橋をつくりながら進んでいくシーンがあって、イメージとしてはそういうことかなと思います。

これが行きつ戻りつではなく、前に進むばかりということで、自分ひとりのことでないところの仕事、特に大勢が関わるような時には、できるかぎりの細やかさがあると良いように思います。

情報の共有であるとか、役割分担とか、進行状況の確認とか、チェックするリストは多く続いていくことでしょう。

こういう発想でいると仕事術とかテクニックのように思いがちで、それらを体得すれば良いと思ってしまうものですが、もっと大元に立ち戻ってみれば、人と人との関わりにおいて、どのようにすれば円滑に進むのか、どうすることが気持ち良くコトを推し進められるのかを考えていくべきでしょう。

また、そういう技術的なことを知っているからといって、できていなければ知ってはいない、何にもわかっちゃいないということにもなってしまいます。

わかっていたらできているはずですし、もしもそのようであれば物事はうんと円滑に進んでいるはずだ、そのように類推することができるものです。

それがどうにも滞っているとか、どうにも上手に進んでいないというのであれば、一度自分の振る舞いや考え方を見直していくのが良いでしょう。

これも、進みながら変えていくことはできるので、勢いは増すけれど、それに耐えうるようにトレーニングもしていく、そのどちらも成り立たせるようにやっていきたいものです。

何事も遅いということはないのだから、気づいていくと同時により良いように変えていけるのがナイスです☆