歩き続けることの強さ

 

「新しい靴は、新しい場所へ連れて行ってくれる」というように、新しい靴を手に入れて、それをはじめて履いていく時には、自然と心がウキウキ浮き立つものです。

それは、具体的な場所であり、そこにいる人たちとの新たな出会いであるかもしれないし、抽象的・感覚的に前進することを言うのかもしれません。

そして、具体的かそうでないかはお互いに支え合うようなもので、実際に足を動かしてどこかに行くことと、気持ちの面で新たな境地に行くことは、頭の中で考えている場合では案外同じようなものとして受け止めることができそうです。

そこで、「新しい靴」というのはひとつの表れであって、これまでの延長通りとは多少なりとも異なるようにしたいという、そんな希望を託し込めていると考えられます。

"決意"というほどの強固なものでないにしても、"そうであってほしい"とか"そうであったら良いな"という思いでもって、それを靴というアイテムに置き換えているくらいの感覚もあるでしょう。

自分で力強く突き進んでいくというのではなく、きっと靴が導いてくれるはずだという、肝心なところは靴の意志(あるいは、運や成り行き)に任せて、ややもすると力が抜けているところが、「新しい靴は〜」の考えが好意的に思われている要因のひとつなのかなと思うものです。

それでも、さらに歩を進めていく場合でも、少し路線を変更して進んでいく場合でも、時決して時間が止まることのないように、自分自身もそれぞれ何としてでも前に進んでいくしかありません。

時に、前に進むことに足がすくんで、すっと立ち止まってしまうことだってあるかもしれませんが、ここはひとつ、新しい靴にあやかって勇気を奮い立たせるもの有効な手立てです。

新しい靴を手に入れたから前に進むのでも良いし、新たに前に進んだから靴を手に入れたのでも良いし、このあたりの前後関係が入れ替わるようでも構わないように思います。

果たして、行き着いた先が自分の望んだものかどうかわからないかもしれませんが、きっと心の中では望んでいたものなのでしょうし、結果として物事はなるようになっていると思うので、それは新しい靴のもたらした世界なのでしょう。

次々と実物としての靴ばかりを求めてはいけませんが、新たな靴を手に入れようかしら、ふとそのように思う時は、今はあなたの変化する何らかのタイミングにあるということかもしれません。

普段よりどんな靴が新たな自分にふさわしいものか、想像を巡らしている時間もまた楽しいもので、来るべき時に備えるのも良さそうです☆