毎日と長い目で見て

 

1日ごとを生き抜くことと、長い年数を生きること、感覚としては同じようで少し異なるもののように思います。

どちらを優先するかということではなくて、どちらも大切にしながら、その双方をどうやって考えていくのかという問題にもなるような代物です。

たとえば、明日を無事に迎えるためには、今日の1日をどうにか生き抜かないといけない、そういうことでは1日ずつ、いつも無事に過ごす必要があります。

ただ、それが先の何かにつながるようであってほしい。

今日を生き抜くことに必死なあまり、明日に何も残せないのなら、また同じように繰り返すばかりで、そこには成長や変化があまり生じてこないように思います。

今日の1日ずつを過ごしていくうちに、自分の望む何かに手が届くとか、多くの時間を過ごすことができたとか、今日の工夫や取り組みによって0.1%でも上乗せできれば良いでしょう。

これが、消耗するとか疲弊するとかで、逆に0.1%目減りするようであっては、今日の必死さが裏目に出て、明日はその少ない状態からはじめなければいけないものです。

それが同じように目減りしてしまえば、時間が経つほどに損なうものが多いということになってしまいます。

このあたりの前後関係だとか因果関係が今はまだ上手に説明しきれないものですが、ひとつに言えそうなことでは、遠い先に何も目指さないようでは、ここから出す一歩をどうすれば良いのか、向かうこともなければ積み重ねることもできないことがあります。

いわば、遠く先を見やる視点も大切ですし、今日の足元を見る視点も大切で、その双方を行き来しながら目の前のことに取りかかっていくのがもっとも良いように思います。

あるいは、自分の気力・体力の充実を考えるようにして、情熱やエネルギーもまた、上手に燃やせば自分の活力ともなり得るものです。

上手に使えば次につながるとか、より多くのものを得るのが順当なところで、今日の一足が明日につながり、今後や将来にまでつながるものなのかをしっかりと把握して知りたいと思います。

毎日が、朝にはじまって夜に1日が終わる、誰にも同じように時間が流れていくなかで、どう過ごしていくのか、こういう発想を組み合わせながら考えていきたいものです。

単純に時間を浪費するとか、絶好を機会を失うことのないように、少しでも前とか上を見て目指すくらいの、そういう意気込みを持っていきたいと思います☆