気配を感じる

 

見えないから「ない」ということでなくて、それでも「ある」ようなことはいくつかあるように思います。

誰かが背後に立てば気がつくように、たとえ目が行き届かないところであっても、気配を察知するような類のことになります。

自分であったり、身近な人であったり、誰かしら人の場合で考えてみると良いのかもしれませんが、呼吸をしていれば、吸っては吐いての息の流れが鼻や口元からできますし、何をせずともそこにいるだけでも体温があれば、自然と周囲に何かしら影響を与えているはずです。

そういう意味では、環境と自分というものを切り離すことはできなくて、時には一体であったり、別の時にはお互いに作用したりしているようにも思うものです。

また、じっーと誰かを見つめていれば、不思議と向こうが察知するように、もしかすると視線の放つ質量や重みのようなものがあるのかもしれません。

モノを考えたり話したりと、いつも人は意識的な活動をしていて、体温や視線を放つように意識も体外に醸し出されるとすれば、その点では誰しも看過できない存在であるようにも思うものです。

ひとりひとりの存在の大きさもあれば、大勢の中になっては少し小さくもなってしまうものですが、たくさん寄り集まってくることで、またひとつの傾向・流れができてくるものです。

人気(にんき)のある場所、それは遊園地やテーマパークでも、繁盛している飲食店でも良いのですが、そういう場所はより多くの人を引きつけています。

人気(ひとけ)があるというのが、人気(にんき)のあることや活気を呈する前提であり、しかも、そこの場所が楽しいとか美味しいとかの良い感情や感覚で溢れているというのが重要になります。

そうでない人もいるかもしれませんが、多くの人にとっては遊ぶことや食べることをはじめ、生活全般においては良い感情や感覚を少しでも多く感じていたいはずです。

わざわざ苦しいとか辛いことに向かわないように、やはり足を向ける場所や行こうとする場所は良い方・前向きな方を選ぶことでしょう。

気分の良い場所をつぶさに見てみれば、掃除がしっかりされていたり、整理整頓がなされていたりするし、あるいは、そこにいる人たちが元気であるようなことに思い至ります。

結構、技術的なことや物質的なところで考えてしまいがちですが、こういう気持ちの部分をおろそかにしない、そういうものは言わずとも伝わってしまうようにも思います☆