水に深く潜るように

 

少し前に、だいぶまとまった分量の文章を書いた時に、

普段とは異なるやり方というか、

そこで使う体力や、事前の準備も異なるなと思いました。

 

分量が多ければそれだけ、内容は幅広く、

しかも、論理としても深いところまで行くので、

たとえば、これを水に潜ることにたとえてみると、

140文字のTwitterでは、洗面器に張った水に顔をつける程度で、

ここで(今のところは)毎日やっているこちらでは、

それこそ、家庭の浴槽に入っているくらいになります。

 

すると、ここでは言いたいことをさらっと言う程度か、

言いたいことの大まかな流れを伝える程度かになります。

 

これが、2,000〜3,000字くらいになると、

市民プールがジムのプールに行くような感じで、

10,000字を越えてくるようになると、

そろそろ酸素ボンベでもかついで、

海にでも行くかどうかということになります。

 

そうすると、持っていくものは変わってきそうですし、

準備体操も入念にやっていく必要が出てくるものです。

 

そして、いきなり水に飛び込むようなことはしないで、

少しずつ潜ってみるとか、浅いところから進んでみるとかするので、

空間的な場所も大きく使ってみるのが良いとなってきます。

 

あるいは、単純に文字数の多さから考えてみると、

少ない時には、言いたいことを順に言っていくのが望ましいですが、

扱える文字数が多ければ多いほど、その前段と言いますか、

読む人が、読むのに次第に慣れていくように、

少し本題とは離れた話題から切り込んでいくことになります。

 

こういう言っている内容と文字数の多さは、

どこかしらでリンクするようにも思うのですが、

それはまた、先日紹介した"意識の階梯"のように、

考えている意識レベルの深さにも影響がありそうです。

 

論理を駆使し、言いたいことのあらゆることがつながるように、

しかも過不足なく伝えようとすればするほど、

集中力を増しながら、意識は深くなっていくような気がします。

 

そうして、水の中に潜って、底にまで沈むようにして、

意識もぐんぐん深めながら、言いたいことの真ん中までたどり着けば、

あとは、浮上するようにして締めくくりを迎えれば良いわけです。

 

そうすれば、自分の気がつかなかったようなことを、

深く潜ってみることで見つけるかもしれないし、

自分の思っていることの深いところが、

他の多くの人にとっても共感できるのかもしれません☆