溢れ出るもの

 

時に、アイディアの源泉という場合、

それは社会を変えたり、時代を変えるものであったり、

ひとつひとつの書類やデザインを考えるようなものであったり、

言葉ひとつにとっても、意味合いは広範にわたることでしょう。

 

多かれ少なかれ、世を騒がすようなインパクトを与えたい、

画期的なことを思いつき、自らもそういう存在でありたいだなんて、

誰しも夢想することはきっとあると思います。

 

そういう専門的な領域や分野であると、

突き詰めることが、そういうところに手が届きそうですが、

時間や労力を膨大につぎ込んで、果たして通用するのか、

それは、誰も知り得ないし、保証もしかねることです。

 

それは、ある意味で出たとこ勝負というか、

やってみてどうこうという次元の話になるでしょうが、

まずは、強い思いというような"感情"、

そういったものが溢れ出るようにあることが、

何かに通ずる原点のような気がします。

 

それがあって、行動や発言につながっていくものだし、

逆になければ、何もはじまることもないわけです。

 

それに付随して考えれば、どんなアイディアだって、

どんな言葉であっても、絶対に出てくるものと思っていれば、

必ず何かしら出てくるものだし、事実出てきます。

 

きっと、そう思うかどうかの差は、

思っている以上に威力はあるだろうから、

そこを諦めるということは、

はなから選択肢に並ぶわけはないはずです。

 

あとは、千本ノックのように絶えず出すことを続ければ、

より洗練され、より高度になっていくような気がします。

 

努力と聞けば、泥臭いようにも思いますが、

その泥臭さがあって、光り輝くものも出てくるので、

軽く見過ごすことはできないなと思います。

 

自分自身の底力ということにも通じるでしょうが、

可能性を信じてこそ、新たに見出せるものもあるでしょうから、

そこに期待を大きくかけて、日々取り組んでいきたいものです☆