癖のあるなし

 

"7"という語呂の良さもあるのかもしれませんが、

古来より、「なくて七癖」という言い回しがあります。

 

自分では気がついていないようなことで、

周りから見れば、癖=目に付くということが、

往々にしてあるわけです。

 

発言と行動のどちらかということでは、

わりと脳の思考と連動している発言より、

行動の方が、おそらく多いのかもしれませんが、

その両者を比較してみれば、

より無意識のうちに現れているというのはあるでしょう。

 

視線の動かし方や、話している途中に鼻ばかり触ったり、

何かを手に取ったら匂いも嗅いだりするみたいに、

ふとした時に現れるもの、それ自体が特徴となり得ます。

 

フロイトなのかユングなのか、心理学的に照らし合わせれば、

何かまた興味深い知見が得られることでしょうが、

それは、ここでつまびらかにすることもしませんので、

適宜、各々で言及してもらうことにいたしましょう。

 

ある意味で、その人たらしめている"特徴"とも言えそうですが、

あまりに偏執的になるのであれば、こだわりという域さえ越えて、

奇異に映るということもあるかもしれません。

 

くしゃみをするような、生理的・本能的なところでは、

そういうのはより一層明らかになるのかもしれません。

 

それがたとえ、抗えないものであるとして、

だからと言って、我慢することを決して勧めるわけでもないですが、

普段、人と関わって、社会的に生きていくということを鑑みれば、

その振る舞い、所作の始末の仕方というところに、

これまた別の形で、その人の本質が現れてくるように思います。

 

それに付随してみると、満員電車や人混みの中にあって、

乗り降りや急停車、移動の時には、接触は当然のように起こります。

 

そういう時に、声をかけるとか、ぶつかったら詫びるとかのように、

致し方ない事態になっても、その後どうするのか、

そこにこそ、その人の普段の考えや価値観が、

ギュギュッと凝縮されているように思えてならなく、

同様に自らを振り返り、戒める気持ちにもなります。

 

癖はあってしかるべしと捉えるとして、

それが人に迷惑をかけるとか、その人を損なうとか、

どうにも目に余るようでは、周囲の人は呼びかけ、

言われた当人は、素直に直すというのが、

大事ともならず、円満にコトが進むことでしょう。

 

一事が万事、些細なことのように思えることにも、

本質はありありと宿っているものですから、

配慮を怠ることなく、朗らかにいきたいものです☆