"7"という語呂の良さもあるのかもしれませんが、
古来より、「なくて七癖」という言い回しがあります。
自分では気がついていないようなことで、
周りから見れば、癖=目に付くということが、
往々にしてあるわけです。
発言と行動のどちらかということでは、
わりと脳の思考と連動している発言より、
行動の方が、おそらく多いのかもしれませんが、
その両者を比較してみれば、
より無意識のうちに現れているというのはあるでしょう。
視線の動かし方や、話している途中に鼻ばかり触ったり、
何かを手に取ったら匂いも嗅いだりするみたいに、
ふとした時に現れるもの、それ自体が特徴となり得ます。
何かまた興味深い知見が得られることでしょうが、
それは、ここでつまびらかにすることもしませんので、
適宜、各々で言及してもらうことにいたしましょう。
ある意味で、その人たらしめている"特徴"とも言えそうですが、
あまりに偏執的になるのであれば、こだわりという域さえ越えて、
奇異に映るということもあるかもしれません。
くしゃみをするような、生理的・本能的なところでは、
そういうのはより一層明らかになるのかもしれません。
それがたとえ、抗えないものであるとして、
だからと言って、我慢することを決して勧めるわけでもないですが、
普段、人と関わって、社会的に生きていくということを鑑みれば、
その振る舞い、所作の始末の仕方というところに、
これまた別の形で、その人の本質が現れてくるように思います。
それに付随してみると、満員電車や人混みの中にあって、
乗り降りや急停車、移動の時には、接触は当然のように起こります。
そういう時に、声をかけるとか、ぶつかったら詫びるとかのように、
致し方ない事態になっても、その後どうするのか、
そこにこそ、その人の普段の考えや価値観が、
ギュギュッと凝縮されているように思えてならなく、
同様に自らを振り返り、戒める気持ちにもなります。
癖はあってしかるべしと捉えるとして、
それが人に迷惑をかけるとか、その人を損なうとか、
どうにも目に余るようでは、周囲の人は呼びかけ、
言われた当人は、素直に直すというのが、
大事ともならず、円満にコトが進むことでしょう。
一事が万事、些細なことのように思えることにも、
本質はありありと宿っているものですから、
配慮を怠ることなく、朗らかにいきたいものです☆