情熱の炎、メラメラと燃えていますか?
火が燃えるにも、燃えるだけの薪(まき、たきぎ)や、
酸素を多く必要とするものです。
これは、人にも当てはまると思っていて、
自分が燃えているつもりでも、燃えていなかったり、
燃えてはいるけれど、少し温度が高くはなかったりと、
俯瞰してみれば、様子がありありとわかるものです。
おそらくこれは、燃え続けるためのものと燃料としてのものの、
それぞれの「動機付け」が必要なのかなと思います。
動機付け=モチベーションが云々と取り沙汰されますが、
これが上がる/上がらないというのは、あまり関係なく、
もう少し行動の方に寄せた、やる/やらないにあるそうです。
それも、じっくりと考えてみればわかることですが、
もしも果たしたい目的や目標があるのなら、
それが強ければ強いほど、"やる"の一択のみ、
向かう向かい方に差があるくらいのものでしょう。
それがおそらく、燃えるだけの火種の部分で、
そこに着火さえすれば良いし、あとは燃え続けるために、
どのような工夫をすると良いのかになります。
燃え続けるにも、時間の長さの部分もありますし、
さらに強く燃え盛るようにする部分もあって、
そのために、何ができるのかを考えれば、
火が消える=消極的になって足が止まることは、
おそらくないような気がします。
そのためには何ができるのか、
火種の、初心の部分を日ごと思い出すようにしたり、
少し理想に近づいたのなら、それが薪の追加のようになったり、
それもまた、行動によって行動を補強するようなことになります。
常に高いところで推移するし、さらに右肩上がりになるくらいの、
極めて高い水準を保っているのが、求めたいところではあります。
それも、いつも火の燃える様子を眺めて、
あれこれと手を施し、風雨にさらされないようにもして、
そうして、火を絶やさないのが先決です。
自分自身、心の炎がさすがに消えるようなことはありませんが、
それでも、強めの風に吹かれれば、少し弱まることもありますが、
最近では、その前の立て直しが早くなったのかなというのはあります。
こういうのは、強く気持ちを保つためのコツみたいにもなりますが、
結局のところ、行動でしか解決しないもののようにも思いますし、
物事に対する解釈の仕方にもつながることです。
このあたりを、先回りして処方箋を備えていくも良いですが、
その時々の、絶妙な采配で乗り切っていきたいものです☆