画像を撮り溜めて

 

ケータイ電話(スマホ)の便利さ、身近さにあやかって、ことあるごとにパシャパシャ〜とやっていますが、どれくらい見返したり、活用したりするのかは定かではありません。

今は本当にスゴイもので、画像や機能の質において特にカメラでなくても十分なくらいに果たせるために、現像もしない、プリントアウト(印刷)もしないので、ある意味では、データが増える一方ということになります。

これは最近不思議に思うことのひとつなのですが、現像する/しないでわかれるのか、何をもって「写真」、また、何を持って「画像」というのか曖昧になっている気がします。

誰かの姿や何かの景色が撮ることができればそれはもう「写真」なのか、どこが線引きの対象なのか、わからないなと思いながら話している場面があります。。

これも、言葉の定義云々よりも、実際にどうであるのか、そこに画面と(たとえ画面上であっても)シャッターボタンがあればカメラであり、写真であるのもかもしれません。

こういう使う機器とか成り立ちの変遷のうちに、言葉の変化をもそれとなく同時に思うものです。

いずれにしても、気の向くまま・思うままに記録していくにあたって、何をどれくらい大切にするのか、そういう問題も生じてきます。

撮りたいものを撮るけれど、それも容量次第とか一定の期限が来たらどうにか整理する、そういうこともあるかもしれません。

あるいは、貴重な瞬間を撮りたいとか、千載一遇のチャンスを逃さないとか、そういう時に撮るのも良いですが、そういう時こそ目を凝らすとかじっくり眺めるのもまた乙なものです。

言い換えれば、目に焼き付けるとか、心に刻むとか、そういうことにもなって、それはそれでとても大切なように思います。

便利さや身近なことに甘えるあまり、いつでもどこでも誰に対しても気軽にケータイ電話(スマホ)を構えてしまうものですが、しかるべき配慮や注意は怠ってはいけないものです。

プライバシーとか肖像権のような問題もあれば、気持ちや気分の問題もあるでしょうし、何が何でも良いというわけではないでしょう。

そういうのもここ何年かで移り変わっているだけのことですから、基本的な節度も守りながら、上手にやっていけるのがより良いように思います☆