たとえば、次のステージを目指して、上を向いた時、
そこに、登るて手立てとして、糸が垂れ下がってきたら…。
チャンスの女神と同様に、そのような機会は極めて稀であり、
しかも、誰もが手にできるほどは用意されていないでしょう。
王様でも、チャンピオンでも、頂点に立つ人は、
どの分野においても、一番乗りですべてを手にしており、
または、それを打ち負かすことで手に入れることもあるでしょう。
ヒトという、単なる生物的な営みということでなく、
人の歴史は、一番を目指す人たちの、
そのような戦いの積み重ねなのかもしれません。
ただ、一番になれなかった大勢の人たちとの差は歴然であり、
名声、評価など、手にするものも雲泥の差となるでしょう。
歴史に名を残す、それだけが目的ではありませんが、
後世にまで語り継がれたら、それはかなり名誉なことです。
自分が高みに行く、もっとありていに言えば、目立っていく、
ぜひとも、そのような機会を手にしていきたいものです。
また、生きていて、得がたい出会いもあって、
そのような「縁」を紡いでいくのも、
人生の醍醐味のひとつだなと思います。
何かを引き寄せる、束ねるようにして、
人は出会い、関係を結んでいくことを表すのに、
「糸」のつく漢字や表現が多いように思います。
綾を織り成すようにして、人生を織り成すといえば、
いささか耳にキレイに聞こえてしまいますが、
実際は、そうやって人との関係によって、
自分がいたり、誰かと助け合っていたりするのが、
世の常道なのかとも思うわけです。
人生の機微であったり、個人の感情の機微であったり、
それぞれを丁寧に手繰り寄せて、織り重ねる、
それがタペストリーのように、ひとつの作品となり、
人それぞれの彩りと味わいが出るでしょうから、
それもまた、作り上げていきたいものです。
未完の大器とか、大器晩成とかも期待は高いものですが、
きっちり仕上げて、花開くようになっていきましょう☆