素直に聞いて

 

人の振る舞いを見ていて、それは良いところは自分にもどんどん取り入れていきたいからなのだけれど、これは良いなと感心することがあります。

そのひとつとして、知らないことに出くわした時に、その場で率直に聞ける=尋ねることができるのは素晴らしいなと思います。

知らないことが無知なのだとしても、その知らないこと自体が恥ずかしいのではなくて、知らないままにしておくことの方がうんと恥ずかしいことかもしれません。

知らないことを知っていない、気がついていないのはまた別の切り口になるのですが、そういう疑問を投げかける意識の余地があるかどうか、それも多少関わってきます。

「代替」は本来は「だいたい」なのだけれど、それを「だいがえ」の方が正しいと思っているような、信じて疑わないようなこともあるでしょう。

よほどのものでない限り、間違いを指摘するのかどうかは悩ましいところですが、知ったり聞いたりする時には仔細含めて尋ねるのが良いでしょう。

そして、そういうことを繰り返していくと、当然自分の中に知識が蓄えられていくし、知らないことを随時聞く、何度もそういうことが積み重なってくると、いつしか流れが変わって、周りの人がかえって親切に教えてくれるようにもなるものです。

素直さ、謙虚さ、日頃からこういうものを持ち得ているか、何を知っているのかと同等かそれ以上、生活を営んでいく上でとても大切なことのように思います。

本質的なこと、日々を過ごすのに必要なことは、特に知っておけば良くて、その披露の機会がなかろうが構わない気がします。

これは自分の気質もあるのでしょうが、必要な分を必要なだけ最低限知っているだけでは、何だか心許ないような気になってしまいます。

自分の許容量というキャパシティーを増やす意味においても、風船をふくらますようにせっせと詰め込んでいきたいものです。

当然、漏れ出るものはあるでしょうし、あまり出番のないものは入れ替わることもあるでしょう。

それでも構わないからやっていくことで、種々雑多なものが自分にとってもそうですし、何においても有用なものが手元に増えてくるはずです。

世の中の知識や知見においては自分の知らないことばかり、知ることを楽しむようにしている、そういう観点から大切にしていきたいなと思います☆