普段の生活であるとか、取り巻く状況とかに対して、
判断を下すことであったり、結論を出すことであったり、
途中を難しく考えてしまうことはあるでしょう。
学問の分野のひとつとして「哲学」をとらえる場合に、
もちろん偉大な先人の知恵を知るという側面もある一方で、
しっかり自分で考える、あるいは、考える枠組みを持つというのが、
もうひとつの、とても大切なことのように思います。
ある意味では、音楽や他の芸術、学問でもそうですが、
体系とともに歴史的な背景を知るというのと同時に、
自分自身も実践をするというのが含まれるかと思います。
意外と、手や足を動かす技能的なところでは、
実践がまずもって優先されるように思うし、
頭を使って考えるような分野では、
知識を覚えたり、記憶したりすることが、
大切なことになっているような気がします。
これらは、決して相反するようなものでもないし、
どちらか一方をやっておけば良いというようなものでもなく、
多少のバランスの偏りはあるかもしれませんが、
それぞれに力を注いでいくのが良いように思います。
最近は、少しばかり小難しいことを見聞きするのが楽しく、
「こんにちは!今日もお元気ですか!?」のような、
挨拶はもちろん重要で、大切なことではありますが、
他の、上っ面をなぞるような会話であったり、
何の意図も感じない会話であったりするようなものは、
どうにも応じようがないなという気分になってしまいます。
無駄が無駄でないようなことも、あえて無駄であることをするにも、
その前提があれば、それは意味のあることかと思いますが、
そうではない時には、その限りではないという感じです。
自分自身、物事をしっかりとらえるですとか、
これはどういうことなのだろうと考えることを好むあまり、
軽薄な言葉を発したくなく、あまり多くを語らないのはあります。
自分の興味や関心のあることに対しては、
自然と語るし、語ればつらつらと続くわけですが、
これまた、こういうところに興味や関心があるのだと、
事前に伝えていないと、理解に苦しむところではあるでしょう。
そういうことに思い至ってしまうと、
自分と他者との関わり方にも影響はあって、
"個人と身体の境界"みたいなところまで行き着きそうなのですが、
それは、またの機会にでも取り上げてみたいと思います☆