荒削りで構わない

 

どんなことにおいても、物事の道理をわかっているに越したことはありませんが、わからないがゆえに生ずる勢いとか、得も言われぬ勢いというのも、他に代えがたいものかもしれません。

年齢を重ねるにつれて、相応の分別がついたり、目にするものの仕組みや成り立ちがわかったりしてくるものですが、それゆえに、もっと知りたいとか、もっと上手になりたいというような衝動が生まれにくくなることもありそうです。

言い換えれば、その道の専門でやるとか、追求するということとは少し異なる、やってみて楽しいかどうかを大切にしても良いということです。

やるからにはプロのミュージシャンを目指さなければいけないということでなく、ギターの音色や楽曲のコード進行に心奪われてみるとか、プロ野球の選手にならなくてはいけないということでなく、キャッチボールやバットの素振りを繰り返すのでも良い気がします。

そこでは、五感を働かせることやカラダを動かすことの喜びを見出すようなことで、目に見える成果や行動とは別種の理解、時には感動があるように思うものです。

これが、気になる人との会食やデートなどでもそうで、必ず友人関係や恋人関係に結びつけなければいけないということでなく、その時々での、いろいろな人との会話や交流を楽しむということであっても構わないでしょう。

自分のやったことがあるかどうかに関わらず、変に知った顔するよりかは、わからないことにどんどん身を投じて、そうしてもがいてみるのが良さそうです。

こういう発想を持っていくと、意外と億劫に思っていることの遠因が、最初から頭で考えすぎということもあるかもしれず、そういうものは一度取っ払ってみるのが良いかもしれません。

何も知らない時には、知らないがゆえの不安や心配があるものですが、一方で、知っているがゆえに足かせになっていることがあるようにも思います。

完成するとか、周囲を冷静に見れるとかは、もう少し後のことで良いという気がするので、知っていることは忘れることができないにしても、一旦脇に置いておくのが良さそうです。

文字通り、老成するのは後回しにして、荒削りなくらいの勢い任せで、ひと通りやってみるのはいかがなものか、そこで得るものはまた貴重であるように思います☆