虹の解体を試みる

 

リチャード・ドーキンス(進化生物学者・動物行動学者)に、

「虹の解体:UNWEAVING THE RAINBOW」という著書があって、

確か、生物の遺伝子を分析するようなところからはじまって、

この世の自然現象は、ほぼすべて科学的に解明できるという趣旨で、

この発想が良いなと思いつつ、また思い出した次第です。

 

この著書自体は未読なので、大枠でしか知らないのですが、

一見ロマンティックな響きのするものを解体するという、

その意外性もありつつ、試みてみたいような気持ちにも駆られ、

いっそ、こういう発想で物事をとらえていきたい思いがあります。

 

多くの場合では、雨の後に虹が空にかかるのを見て、

「あ、虹だ」、「キレイだ」というような感想を抱くかと思いますが、

それが一体どういう原理で発生するのかというのは、

意外に思いが至らないことなのかなと思ってしまいます。

 

あるいは、雨=大変なことのあとには、

虹=良いことがあるはずだという時に、

ひとつの比喩として用いられることもあります。

 

そして、理科や科学というと、学校の勉強を思い出し、

頭か心かがシクシクと痛むかもしれませんし、

場合によっては、即座に思考が停止するかもしれません。

 

自分自身も、決して得意なわけではありませんが、

普段と異なるように考えるといいますか、

思い込みを外して考えるのにも有用であるように思います。

 

感覚ばかりでとらえるようなことを、

あえて理屈で考えてみることで

新たな気づきや発見があることでしょう。

 

また、理屈でかんじがらめになってしまいそうな時には、

少しそこから引いて見るようにしつつ、

感覚で観察してみるのも良いのかもしれません。

 

結構、表現に関することはこういう二つの側面が、

決して背反することなく両立しているように思います。

 

小説、映画、音楽、演劇などのどれにおいても、

高い技術と熱い情熱があることによって、

多くの人に訴えかけることがかなう気がします。

 

それは、"心"のありかがどこにあるのかにも近く、

文字通りの心臓なのか、知覚する脳なのかの議論もありますし、

個別の器官というよりかは、生命体ひとつの全体で、

感情や感動を覚えているというとらえ方もあります。

 

意外とわからないことの、最たるものは自分自身なのかもしれず、

こういうのを解き明かすことがまた生きる醍醐味でもあります☆